2021年4月17日土曜日

近藤さん、お帰りなさ~~い♪


 令和3年4月16日、気温10~14℃

 15日、愛媛県から友人の近藤さんご夫妻が遊びにいらした。ご夫妻はパインツリーのお客様で2014年秋、初めていらした。その時、富士山ポイントに旦那様をアチコチご案内したのがご縁で、益々富士山LOVEが重症化し、ついに不二の病となり、1年の間に1~2回、遠路遥々8時間近く掛けてやって来られるようになった。
 その近藤さんが、まだ撮られていない桜と富士山の写真を、このコロナ禍ではあるが仕事を調整し、休みを作って撮りにいらしたのだ。だが、この時期、天気はご機嫌斜めで難しく、御山のお顔を眺めるのは難しい。15・16日の天気も微妙な雲行だが、15日は午後から雲が取れて行きそうな気配だったので、ご夫妻と富士山麓桜巡りツアーに出発した。

 まずは鳴沢村の富士桜高原へ行き、桜街道を動画を撮りながら駆け抜ける。標高1100メートルにあるソメイヨシノは丁度見頃でご夫妻を迎えてくれ、桜並木に感動した面持ちだった。創造の森Pへ車を止め、富士桜と三つ葉ツツジの共演を撮る、会話は、この向こう側に「御山のお顔があればナー!」である。



次は河口湖総合公園へ、広い園内の芝生広場の周囲を縁取る様に咲き誇る桜と新緑の中を散策した。恩賜林の桜並木を車中から眺め、忍野村へ。 忍野村お宮橋に立つと、御山のお顔の前で邪魔したブラインド雲が流れ、お顔が見え出した。ご夫妻の強運には舌を巻く、村の中を拾い撮りいながら散策し、忍野村の遅い春を満喫してくれた様子で安堵した。 帰り道、富士吉田の人材開発センターの枝垂れ桜と、田んぼに逆さに浮かぶ御山の共演を狙った。まだ残っていてくれた枝垂れに感謝!そして新屋山神社に参拝、金運上昇・商売繁盛・家内安全・交通安全を願った。こうして無理かと思っていた御山のご尊顔を拝見出来たのも、新屋山神社のご加護かも知れない。

    
   
    
 
 その夜、19時から'楽遊食歌 加津'さんでいつもの歓迎会。その際、16日、天気が悪い様だったら御山が撮れないので、長野へ花桃を観にご一緒しませんか!?と誘って置いた。16日8時近藤さんに確認の電話をすると、行けるとの事。カミさんは所用で行けない、そこで加津さんも誘い、一緒に出掛けた。このサプライズ企画は、昨年、カミさんと観に行き、感動の余り「もう桜はいい、花桃!」と言わしめた花桃の里を、近藤ご夫妻に、加津さんに観て貰い「わー!キャー!」と叫んで貰えればと願い企画していたのだ。結果は大大成功!!目的地である月川温泉入口にある昼神温泉の周囲に咲く花桃を観た途端、二人は少女になってしまった(笑)

天台宗 別格本山 #光前寺

 帰路、休憩を兼ねて長野県駒ヶ根にある光前寺へ立ち寄る事にしていた。中央道を走っているとアチコチに点在している桜が、まだピンク色に色付いている。ネットで調べると光前寺の枝垂れ桜も終盤を迎えているが、もしかして、まだ観る事が出来るかも知れないし、駒ヶ根ICから3分の距離にあり、地の利も良いので立ち寄った。こちらは深山幽谷の雰囲気を醸し出す古刹だが入口道路の両脇にはスイセンが植えられており、お寺さんが地域に守られていると感じた。





 阿智村の花桃は村全体で約10,000本の花桃が植えられているが、その歴史は大正11(1922)年まで遡るそうだ。ドイツのミュンヘンで福沢諭吉の娘婿にあたる福沢桃介氏が、ミュンヘンで見た3色の花桃の美しさに感動し、3本の苗を購入したことから歴史は始まり、日本に帰った桃介氏は、自身が社長を務めていた須原発電所(長野県大桑村)の構内に、持ち帰った花桃を植えました(HPから)

 福沢翁が花桃を植えてから約100年、3本の苗が、今や10,000本。
先人の努力もあったが、本格的になったのは20年前だ、月川温泉郷を”桃源郷”にしたいと地域住民で「花桃の里作り委員会」が発足し、本格的に植え始め月川温泉郷一帯に5000本、国道256号線に5000本の阿智村の花桃が植えられており、「花桃まつり」には毎年20万人が訪れ、日本一の桃源郷と呼ばれるようになった。着眼力と住民力、そして持続力、20年頑張れば地域が変わる。 富士吉田も先祖が残してくれた遺産”忠霊塔”を上手に活用し、次世代へと繋げて欲しいものである。   

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