2019年7月21日日曜日

映画・二宮金次郎を見て https://youtu.be/9JDUn6KwgL8

 二宮金次郎は天明七年(1787年)小田原市栢山に生まれ、1856年に栃木県今市で亡くなった。二宮金次郎と云うと、たいていの小学校の校庭に銅像がありましたので、殆どの日本人なら知っていると思いますが、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ない。因みに、わが母校である富士吉田市立吉田小学校にも校庭の隅にも設置されており、以前から興味があったが、そのままに今を迎えた。その二宮金次郎が映画化され、裾野町の”時之栖”で開催される事を知り、本日、令和元年7月21日見に行って来た。

金次郎は天明7年(1787年)に小田原市の裕福な農家に生まれ安政3年(1856年)に70歳で亡くなりました。生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時になくなりました。 そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というののだ。金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むが、また叱られる。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのだ。それから始まったのが、焚き木を背負い歩きながら本を読む姿なのだ。 やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かる。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興した。それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来た。そんな噂が藩内に広まり、今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれ、生涯に600の村々を立て直したといわれている。 金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となった。生涯にどういう業績を残したとか、どのようなものの見方考え方をしたか探ってみよう。 HPから引用 

  報徳の教え
 報徳の教えとは、二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵である。神仏儒を究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあってもそれは宗教を意味するものではない。報徳の教えの中心的概念は大極である。この大極にそった実践を行うということが報徳教の根幹をなす。二宮尊徳はこの大極を『三才報徳金毛録』のなかで円を描くことによってしめしている。この円を分けることにより、天地・陰陽などの区別がうまれる。つまり、大極とは、すべてのものが未分化な状態、一種の混沌状態をさす。

 大極はつねにそこにあるものであるため、人間が何をしようがつねに大極とともにある。しかしながら、人間は我であるため、つねに大極と何らかの関係をとらなければならない。そこから大極に対して積極的に向かう姿勢である天道と大極に消極的に向かう人道の区別が生まれる。

 尊徳は、天道にのみそって生きるこころ構えを道心と呼び、人道にそって生きるこころを人心と呼んだ。道心とは、天の理にそって、私欲を捨て生きることである。人道とは我欲にとらわれた心であり、欲するばかりで作ることがない。心が人道に囚われた状態でいる限り人間は豊かになることができない。道心にそった生き方をして、初めて人は真の豊かさを実現できるのである。

 ここで重要なのは、道心にそった生き方というのが何処までも実利的・実用的に説かれているところである。道心は、それが善だからなどの道徳的な理由で選択されるべきものなのではない。報徳教は単に、人心に従えば衰え朽ち、道心に従えば栄えるという道理を説くに過ぎないのである。

 至誠・勤労・分度・推譲
  - 至誠 -
道心にそったこころの状態を報徳教では誠とよぶ。この誠は儒教で言うところの徳や仁という概念に等しいものである。つまり、大極にたいして積極的に向かっていく暮らしとは、まず誠を尽くしたものでなければならない。我の心を大極と積極的にかかわる状態、つまり誠・徳・仁の状態に置くことを「至誠(しせい)」とよび、至誠がまず実践の第一をなす。

 - 勤労 -
この至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくことを「勤労(きんろう)」とよぶ。至誠がこころの状態をさすのに対し、勤労はそれが行動になって現れた状態をさすのである。そのため、勤労とは働くことを含むが単に働くことをさすのではない。

 - 分度 -
勤労することで日常のすべての行動が誠の状態から行われるため、当然それは消費活動にも現れる。無駄がなくなり、贅沢を自ずから慎むようになる。これを「分度(ぶんど)」という。つまり、分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と使わざるをえないもののみを使うということを意味する。

 - 推譲 -
そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを「推譲(すいじょう)」とよぶ。分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果として残ったものを譲ってはじめて推譲になるのである。
また「積小為大」 「五常講」を人々に説きました。
・積小為大とは  小をつんで大と為すということです。
・五常講とは    金の貸し借りの旋回の過程で、「仁」のこころをもってそれぞれの分度を守り、多少余裕ある人から困っている人にお金を推譲し借りた方は、「義」の心をもって正しく返済し、[礼」の心を持って恩に報いるために冥加金を差し出すなど心を配って人に接し、「智」の心をもって借りた金を運転し、「信」の心を持って約束を守る、すなわち「仁義礼智信」の「人倫五常の道」を守ろうというのである。(童門冬二 「二宮金次郎」)

 久し振りに良い映画に出会った。尊徳が生きた江戸時代の中後期は、人口と経済の長い停滞期に当たる。とりわけ農民は困窮を極めていた。人口減少と長期不況、そして生活困窮者の増大という、当時と似た状況にある現代の日本において、尊徳の方法が、我々が生きて行く道しるべとなるだろうか!  また、略年を調べてみると1810年文化7年、24歳の時に江戸・伊勢・関西旅行をし、そして、その年、富士登山もしていた。尊徳を近しい人物と思うと共に、まさに大所高所に立つグローバルな行動力の中に尊徳の報徳の教えが息づいていると思った。

2019年7月8日月曜日

遼君優勝♪

 男子ゴルフのメジャー第2戦、日本プロ選手権が令和17月7日、鹿児島県のいぶすきGCで第3ラウンドと最終ラウンド36ホールで行われ、首位タイからスタートした石川遼が、通算13アンダーで並んだハン・ジュンゴンとのプレーオフを1ホール目37ホールで制し、16年以来となる通算15勝目を自身初のメジャー制覇で飾った。約5時間、13時BS放送からTVを観始め、途中地上波へ替え、またBS放送に戻って延々と観てしまった。久し振りの遼君、その容姿はすっかり大人の体形になっており、TVのロングショットではまったく別人だ。筋肉の鎧を装着し、その筋肉を自由に動かしドライバーショットの飛距離は、体格の上回るハン・ジュンゴンを圧倒していた。TVに映る遼君は痛々しい程のだった。若い頃から付けていたサポーターの部分、右肘の後ろには10センチを超える手術痕があり、推測に過ぎないがゴルフ肘を解消させる手術痕ではないかと・・・。また、ヘルニアによる腰痛持ちでもある遼君、各ホールのテイーショットでは腰痛の再発が出ない事を祈っていた。プレーオフの37ホール目、遼君がセカンド地点から放った5番アイアンのショットは4メートル上に止まり、そこから放ったパットは50センチ手前でチョイスラしながらカップイン!見事にハン・ジュンゴンを押さえ3年振りに優勝した。子供の体形から大人の体形になり、その肉体をコントロール出来る様になった27歳。もしかすると、これから10年。遼君の時代が再来するかも知れない。ゴルフと云うスポーツが老若男女に愛され楽しんで貰える為に願って止まない。