2021年2月25日木曜日

#奥伊豆探訪の旅


#河津桜

令和3年2月23・24日 8時30分 気温12℃

 昨年、河津桜の開花を逃し、出掛けて行った時には葉桜になっていた。今年こそは・・・と狙い、出掛けたのだが数日前の暖かさで開花が進み、今年も葉桜となっていた。現在コロナ禍である、それでも沢山の観光客が訪れていた。桜祭りが中止となり出店も殆ど無かったが数軒店開きをしていた。その一店に目を止めた、大好物のサザエの壺焼きを焼いており、そのサザエが大きいのだ。今まで露店で販売しているサザエを見た中で一番!また、その金額が500円と破格、もう唾が止まらない。早速、注文して食す、旨~い!コリコリで海の香りが口いっぱいに広がる、たまらない!焼き台の上にホラガイもある、聞くとそちらも500円、食わねばならぬ。珍しい人生初めてのホラガイの壺焼き、食感はサザエよりソフトな感じの歯応え、花より団子ならぬホラサザエ、まだ海を見ない内、口中に伊豆の海が広がった。

 #下田・道の駅にて

 今夜泊まる宿、下田ビューホテルを通り越し下田市内へ入る。13時を過ぎ、食事処を探し下田道の駅の回転鮨”魚どんや”に入る。伊豆の魚と言えば「キンメダイ」、上品な白身と脂が・・・旨いが、小さい!のが残念なところだ。 



 食事を終え、次は玉泉寺を訪ねる。曹洞宗の古刹で初代アメリカ総領事館、タウンゼント・ハリスが総領事として着任、約3年に渡って幕末の歴史の中心としてスポットライトを浴びた。記念館には貴重な開国の歴史を物語る資料があり、玉泉寺内のハリス記念碑はシカゴのウォルフが玉泉寺を訪れて此所に記念碑を建立しようと志したことに端を発し、ウォルフは米大使バンクロフトを通じて渋沢栄一翁に協力を求め、翁はこの建設と共に玉泉寺の修繕を計って各方面の寄付を呼びかけ、大正15年から昭和2年にかけ工事を行い完成した。今年のNHK大河ドラマは渋沢栄一翁の物語「青天を衝け」が放送される、きっと玉泉寺も賑わう事になるだろう。

下田宝福寺内・#お吉記念館(語りべ #夕顔よう子さんと)

 昨年の3月2日、下田市宝福寺・お吉記念館を訪ねた時、語りべ夕顔よう子さんの了解を得て、語りの様子をビデオを撮らせて頂き、Uチューブで配信している。そんな関係で、近くに来たのでお会いし、息災に暮らしていらっしゃるか知りたくて、また、記念館を訪問した訳だ。夕顔さんは丁度、祭日と云う事もあり2名のお客様の前で公演中だった、静かに椅子に座り一緒に語りを聞いた。暫くして終了、挨拶すると直ぐに分かり「遠山さん、ありがとう!」と、感謝された。「年で忘れっぽくなっているので、Uチューブを見て思い出している」のだそうだ。お役に立てて良かった。記念館の受付をしている宝福寺の坊守さんから、庭で採れた大きい夏ミカン?を袋一杯頂き寺を後にした。




 下田・#外浦海岸(#下田ビューホテル9Fから)

 16時にホテルにチェックインした。9階から眺める外浦海岸は只々絶景だ。海が澄んで底まで見える、この景色が見たくて沢山の宿のHPからこちらの宿を選んだ。昔、ダイビングをやっていた際、潜って伊豆の海を写真で撮るとマリンブルーならぬ伊豆グリーンとダイバーに呼ばれており、緑色が強く出る海色になる。外浦の海を眺めながら、懐かしくそんな事を思い出した。
 


早朝、露天風呂から観る#レンブラント光線(#天使の階段)

 食事処はコロナ対策で4階の客室を使い1部屋1組に食事を提供している、従って4階の客室は宿泊部屋としては使えない。コロナ対策とはいえ大変なご苦労と負担だ。一昨年迄、宿泊施設を営んでいた身としては、ついつい自分事として考えてしまう。手間を惜しまない料理と朝晩1組に部屋出しのサービス、1人1,5万円は安いと思った。空気が澄んでいたので部屋の窓から伊豆七島、大島・利島・新島・神津島・三宅島・御蔵島・八丈島の七島が見えて得した気分になった。早朝、太平洋の水平線から昇る日の出を期待して待ったが、幾重にも重なる厚い雲に邪魔され望めなかった。諦めて5階にある風呂へ行き露天風呂に入っていると、雲の隙間からから陽が射し込むレンブラント光線が見える、もしかしてと、タオルに包んで持ち込んだタブレットを取り出し、石ぼ湯船に浸かりながら天使の造り出してくれた情景を眺め、何とも幸せな時間を過ごした。

 #爪木崎公園

 翌日は9時にチェックアウトした。
今日の目的地は伊豆半島最南端・石廊崎だ。石廊崎へ行ったのは何年、いや 何十年前の事だろう?!記憶が飛んでいる。先ずは須崎の御用邸の脇を走り爪木崎公園へ。爪木崎は上下にある広い駐車場が祭日にも関わらずガラガラだ。いつか見た、海岸に咲く水仙の花を見たかったが、開花は既に終わっていた。駐車場の傍には無料の公園があり温室に入るとブーゲンビリアが咲いていたりバナナがタワワに実を付けていのが印象的だった。


  
    #石廊崎              ユウスゲ公園

 次は石廊崎へ向かう。観光船の船上から石廊崎の自然が造り出したダイナミックな造形を観たかったが、この日は波が高く出船しておらず諦めた。オーシャンパークへ車を止め石廊崎灯台まで15分程歩いて行くと波音がする方から気持ち良い風が吹いてくる。 岬の先端付近には石廊埼灯台、その先には大岩の窪みに建てられた石室神社、最突端には熊野神社の祠(ほこら)があり、伊豆半島の最先端なのだ。沖を沢山の船が通る、この沖は海のハイウエー東京湾と大阪・伊勢湾を繋ぐ海上交通の要でもあり、一目大小15艘程の船が往来している。

 帰路は西伊豆を通って帰る事にした、出来れば海越しの御山が撮れたらと願ったからだ。海岸線を北上して行くとユウスゲ公園の駐車場があり、車を止めて丘を5分程登ると200度近い見晴らしだ。眼下には波が白く縁取る大根島、水道は薄いグリーン、視線を上げると気持ち良く一筋水平線、実に気持ち良い場所だ。ワイヤーを大根島まで張りスライダーで降りたら、さぞかし気持ち良い事だろう。仲木から渡船で行くヒリゾ海岸は伊豆で一番のシュノーケリングのメッカと言っても過言ではない。その昔、子供達を連れて来たかった場所だが、仕事が忙して連続して休みが取れず、来れなかったのが悔いを残している。想い出はお金では買えない、多少無理しても行動しないと悔いを残す事になる。
途中の妻良港。50年前に自動二輪でツーリングに来て気に入り2泊した雲見。当時は松崎迄舗装しておらずガタガタの悪路を、松崎町のバス亭でたまたま道を尋ねた50歳位のおばちゃんが雲見の民宿”与三郎”の女将さんだった。その女将さんを二輪の後ろに乗せて走り、その”与三郎”に2泊する事になった思い出の地が雲見と云う訳だ。雲見から裏側?駿河湾側に歩いて15分で山の尾根を越えるのだが、そこがお気に入りでお勧めの場所”千貫門”だ。潮は澄み、波音だけが聞こえる空間。気に入り過ぎて半日、この場所でボケーッとしていた事を思い出した。また雲見海岸の左側にある山頂、雲見浅間神社からの360度の絶景も素晴らしい、遠くに御山も観えるからね。

 土肥から天城峠を越えて月ヶ瀬道の駅に立ち寄る、13時を回っているのでお腹が空いて来た。中にあるレストランでズガニうどんを注文したら、これが期待を大きく外し、ズガニが一パイ丸々入ってミソが旨いのだ、タブレットも携帯も車の中、残念!後の祭り胃袋の中に入ってしまうのだった。


 #修禅寺

 修善寺に立ち寄る。この街が伊豆半島の訪ねた街で一番賑わっていた。14時を回っているのに人気の蕎麦屋なのだろう8人程並んでいるし、修禅寺もパラパラと観光客が散策し、お参りに来ている。しっとりとした佇まいの歴史ある温泉地は、やはり鉄板人気なのだろう。

 #函南桜まつり

 昨年、立ち寄った函南桜を思い出し行ってみた、丁度見頃で満開を迎えていた。柿沢川を挟んで土手下に410本の河津桜が2キロに渡って咲き誇っている。川の左右の岸に所々菜の花が咲いているが、これを整備し傾斜地一面菜の花を植えたら、本家の河津桜を越える人気観光スポットになる可能性を秘めていると想う。
 大好きな伊豆半島、昔から何度来た事だろう。その伊豆がコロナ禍だから・・・と言って欲しくない現実がある。観光で生きている伊豆を2日間走っている間、何と1台も観光バスを見かけなかった、ある意味ショックだ。伊豆を敬遠するのはインフラ、道路事情が悪い為ではなかろうか!?現在、月ヶ瀬迄、高速道路が走っているが天城峠をトンネルで貫ければ、もっと早く行く事が出来る様になると思う。また、街の中にある朽ち果てた廃屋は何とかならないものだろうか?寂れったいマイナスの雰囲気を醸し出し、観光地としては残念なイメージしかない。ある本によると、大雑把に人間を分類すると海彦・山彦に別れるのだそうだ。自分の場合は間違いなく海彦で伊豆が好きなのだ。令和3年4月には富士五湖道路と新東名が接続され、伊豆との距離が15分は短縮され近くなる。伊豆グリーンの海に、あと何回会いに行けるかな・・・楽しみは尽きない。