2009年11月1日日曜日

山陰・出雲地方を訪ねる旅

   平成20年10月29日~31日 

 旅行のメンバーは旧ホテル組合の渡辺さん・大森さん・吉村さんに、私の4名で出掛けた。2ケ月に1度集まり、食事会を兼ねて積み立てをしている。9月中旬に出雲に決まり、すべての段取りを任されたと云うか、引き受けた。毎度の事なのだが勉強にもなるし、結構好きなのである。

 今回の旅行でエアチケットを予約する時、驚いた事がある。それはネットでJALに繋ぎ航空券を買うのだが、予約してクレジットカードで決済を済ませると、搭乗チケットがプリンターからプリントアウト出来た事だ。発券所が要らなくなった。プリントした用紙にバーコードが書いてあり、それを空港セキュリテイーのリーダーに読ませてチェックイン。その後、もう1回、搭乗ゲートでリーダーに読み込ませて機中へ乗り込む、これだけである。 一体どこまで便利になる事やら・・・有難い事ではあるが・・・。 

10月29日   5:30  集合・出発    遠山宅
         8:15  JAL1663便    羽田出発
         9:40    :      出雲空港着
  
 中央道を大月IC辺りまで来たところで、東の空が良い塩梅に焼けて来る。鱗雲に赤みが射し実に綺麗だ、悔し~~いが、どうにもならない、車のハンドルを強く握るのが精一杯であった。1時間40分程で、空港近くの民間駐車場へ車を止めた。機中で隣席の方に声を掛けると経済新聞の方で、平木記者だ。やはり石見銀山へ取材に行かれるとの事で、名刺交換させて頂き、色々と情報を教えて貰った。「話すのは一時の恥、話さぬは一生の損」そんなところだろうか。あっという間に出雲に着いた。

 過日、平木さんからメールを頂きましたので、記事を掲載させて頂きました。 
  日本経済新聞社記者 平木協夫氏記事 

 トヨタレンタカーにて予約しておいた「プリウス」を借り、出雲の地を走り出す。
石見銀山へ続く高速道路が無いのが不便ではあるが、2時間程で  銀山世界遺産センター
着いた。まだ出来立てのセンター内で、銀山の歴史、工法、世界遺産への道など学び、車で大森Pへたまたま空いたスペースに車を止め、食堂を探す。蕎麦屋はあるが、ご飯物を出してくれる店が見つからない。大森さんは珍しい事に、蕎麦・うどんがダメな人なのだ。探し出した 朝日庵 で、うな丼を食べたが、私達が入ると一杯になってしまった。平日だったが世界遺産効果なのだろう、障子の向こうを往来する人並みは多く、静かな通りに観光客の声が場違いに聞こえた。この様子だと、休日には町が観光客で溢れ、住民生活がままならない事が想像出来る。
 
 お腹が一杯になった所で、近くの 石室山 羅漢寺 を訪ねる、石室内の羅漢様が見事だった。大森の町から龍源寺間歩までは2.3キロ、自転車を借りて行こうとしたが、自転車も予約中で借りられず、川沿いの遊歩道を徒歩で向かった。途中に清水谷精錬所跡などあるが、ずっと登り道なので、女性はスニーカー等の動き易い支度が肝心だ。石見銀山 龍源寺間歩の中に入ると、鉱脈に沿って掘るので、結構狭い所で作業していたのが判った。16世紀の大航海時代、ここ石見で産出した銀が、世界の三分の一を補っていたとは凄い話である。

 15時、石見を後にして 三瓶小豆原埋没林公園 を目指した。 
この公園は、縄文時代に起きた火山性岩層なだれで、巨大杉林が一気に飲み込まれたものが近年発見され、保存展示されている公園だ。保存の為切った切り口からは、良い杉の香りをまだ
発していて驚いた。
                          
          6:00  玉造温泉到着  保性館 

            
                            
 ホテル到着後、風呂へ入り一段落し、さて写真の整理でもと、持参したPCを取り出した。いつも通りカメラに繋ぐと1日の思い出が行程順に出て来る。偶々、失敗した写真を見付けプチット押し、削除マークを押すと、何と言う事か!消えて行くではないか・・慌ててみても後の祭り、思い出写真はPCの中に吸い込まれてしまった。何という事だろう、こんな事は初めてである。  教訓「大切な作業中は、いつもと違うPC操作はしない事・・・」皆さんの大切な想い出を消してしまう大変な一大事であった、1日目で起こった事に感謝だ、皆さんに、平謝りで謝った事は、言うまでもない。

 コンパさん2名を呼んでの宴会ではあったが、心が引けてはいたが結局、11時まで延長し楽しんでしまう玉造温泉の夜だった。

   30日    9:00  玉造温泉 出 発


      

 出雲大社を 目指した。駐車場から、参道をショートカットして歩いた。広大な敷地、荘厳な佇まい、さすが全国の神が集結する出雲大社、神様がお泊りになる建物まである。お参りした後 出雲大社 北島国造館を通り抜け、最近出来た島根県立古代出雲歴史博物館へ向かった。博物館では、収蔵品の多さ、特に銅鐸・宝剣の数の多さに驚かされた。また、3本の巨木を束ね柱を作り、高い所に神殿を造った技術には驚嘆させられたが、まだまだ、すべての謎を解き明かすには時間が掛かりそうだ。   

         

松江市内に向かう、30分程で松江城の見える堀川端に着いた。昼を近くの 季節の風 蔵で食べた。メニューを見たらエビかつ丼があり、珍しいので食べてみた。エビフライを卵でとじたもので中々美味しかった。

          

 食後は、予定していた「松江城堀川船めぐり」 に乗船した。周囲の建物が良く保存され時折走る車が無ければ、脇差にちょん髷のお侍さんが出てきそうだ。乗り合い船は、屋根が稼働式になっており、低い橋を潜る時は屋根を低く下げ進む、堀の左右から木々の枝が張り出した所では、ジャングルクルーズの様相を呈し面白い。大きな橋の下を通る時、船頭の歌う民謡にエコーが利いて心地良かった。小泉八雲が愛した松江、今も城下町の雰囲気を醸す良い街だ。




            
                          
  小泉八雲記念館
 丁度暗くなり始めた頃、皆生温泉”菊乃屋”へ到着した。
通して運転していたので疲れがピークに達し、畳に1時間ほど寝てしまった。ここの宿の特徴は、ロビーで社長が弾き語りのミニコンサートを行う事だ、この夜も30人以上の人が聞いていた。各部屋には、社長の大伯母の書が飾ってあったり、随所にさり気無くご案内があり、気遣いの行き届いた宿とお見受けした。この夜もコンパさんを入れ、結局11時まで皆生の夜を楽しんでしまった。

       4:00  皆生(かいけ)温泉到着  菊乃屋 

   31日    9:00 出 発、足立美術館を目指した。

40分程走ると足立美術館の看板が見えて来るが、その手前に安来節演芸館がある。広い駐車場に車がいないが気になったので左折した、すると和服を着た関係者が手を振っている、その手に呼ばれる様に駐車場に車を止めた。後10分でショーが始まるとの事、皆で入場する事にした。 丁度、家元4代目渡部お糸さんが出演し迫力ある喉を聞かせてくれた、民謡もだが本場での生は最高の贅沢だ。コミカルなドジョウ掬いもまた、良かった。また、何より良かったのは、ご覧の通り全員で7名の客に、手を抜かず公演してくれた事だ、プロ根性を見せて頂いた気がした。安来へ行った際は是非、お勧めポイントである。

                  

 直ぐ隣に 足立美術館 はあった。入館料2200円高いと思ったが、中に入ると考えが変わり、安いと思えた。5万坪の大庭園はさすがに日本一の称号を6年取るだけのものがある、気品を感じさせ、どこから観ても絵になる庭で、借景としている山まで庭園と化している所が素晴らしく、無限の大きさを感じた。 庭園の好きな方は是非、行って観る価値がある。蒔絵も横山大観も 北大路魯山人 も地方の美術館では、どれか1点あれば目玉になるお宝揃いに驚いた。




          

 次に大根島の 由志園へ立ち寄り庭園を見たが、足立美術館を観た後だったので見劣りがしてしまった。ここだけ見れば、素晴らしい庭園なのだが・・・。


   

 境港港へ向かった。昨夜、コンパさんから聞いた 食堂”かいがん”を見つけ入店した。お刺身盛り合わせ丼1200円、旨かった。お腹が一杯になった所で、近くの市場でお買い物タイム、カニ・イカの一夜干し・アマエビなど買い求め、家に送った。 
                                
         
 
 境港は漫画ゲゲゲのキタロウの生みの親、水木しげる先生の生誕の地だ。フライトまで時間があったので、キタロウで町起こしをしている境港商店街をブラつき 水木しげる記念館 を訪ねた。平日ではあったが、人目で観光客と判る若い人達がスタンプラリーを片手に散策を楽しんでいる。この街は、日本の街起こしの中でも成功した事例なのではないだろうか・・・。この街は、妖怪に頭が上がらない。出雲空港至近にあるトヨタレンタカーへ車を返却した。3日間の走行距離460キロ ガソリン代は3000円掛からなかった、プリウスは最高に燃費が良い車、遠乗りにはお奨めの車だ。                    
                         


 妖怪道53次 が面白かった。

         16:30  JAL1668便   出雲空港発
         17:50     :       羽田着       
         21:30  吉田 着       解 散         

 予定通り全員無事帰還した。
旅は無事帰れば99%大成功、良い旅であった。