2001年4月18日水曜日

伊豆半島旅行記

伊豆半島旅行記   平成13年1月15、16日

 それは突然でした。朝、かみさんの「ねえ暇だから、旅行へ行こうよ!」で始まりました。

 昨年、4月2日からトレーラーハウスの撤去から工事が始まり7月29日のログハウスの完成、そして8、9月の繁忙期を乗り越え、暇になるかと思ったら忙しいままに年が明けてしまいました。 景気が悪い状況下でありますが、ほんとありがたい事だと思っています。しかしながら休まず仕事を続ける事は辛い事です。正月が過ぎ、第2週を超えましたら、ご予約の数が平日2、3組になって来ました。かねてから、暇になったら旅行へでも行こうなどと誘われていましたが、空返事で過ごして来ました。15日の朝、また言われ。 「よしっ!いくぞ!」となった訳です。

 一家言として「そなえよ常に!」を身上としている私としては、あまりにも突然、唐突過ぎます。出掛ける先も決まっていない、泊まる先も決まっていないのです。お客様のチェックアウトを済ませパソコンに向かい検索。「おーい!伊豆の何処へ行く~」「修善寺~!」「旅館?ホテル?どっち!」かみさんは身支度をしながらの返事!行き先は伊豆修善寺、ホテルの予約が取れ、12時半出発。何と!行く事を決めてから出発迄2時間の慌しさでした。

 孫のスミちゃんにバイバイをして、いざ出発!
東富士五湖道路、富士吉田ICに入る。BGMは、ついこの間買ったばかりの「サザンのバラット3♪」車に乗ったら好きなBGMを掛ける、高速道路は何時走っても好きだ、この道が日本中に続いていると思うだけで気持ちが開放的になる。須走ICで国道へ下り、東名御殿場ICから沼津ICで下り国道1号線を三島へと向かう。伊豆半島の真ん中を走る136号線を南下して行きますと大仁町あたりで右側の山にロープウエイが見えます。何十回も走りながら、気にはしていたのだが乗る機会が無く、今までを
過ごして来たが、ホテルのチェックインまで時間にゆとりがあったので乗る事にしました。
 
長岡・かつらぎ山ロープウェイ
 全長1800メートル、標高452メートル、所要時間7分。 スキー場のゴンドラリフトを思い出しスキーを持たずに手ぶらで”スカイライド”に乗る事だけで、変な違和感を感じてしまいました。頂上に上がりますと、眼下には駿河湾、遠方には雪を被り、恥ずかしそうに雲の衣をまとった富士山が見え振り返りますと天城連峰が屏風の様に立っています。風も無く穏やかな日、360度の展望「かつらぎ山スカイライド」は閉所恐怖症の方、高い所の嫌いな方でなければ一度はお薦め、なかなかである。

 側を走る伊豆中央道路に乗り修善寺までは10分足らず、チェックインを済ませ、町の散策へ。修善寺は町の真ん中を流れる桂川に沿って両側に温泉街として発展した町で、しっとりとした佇まいのノスタルジックな町です。桂川の川音を聞きながら散策出来る遊歩道があり、竹林の中を歩いたりギャラリーがあったり、旅館から湯気が勢い良く出ている脇を歩く事が出来て、とても楽しい散歩道です。旅館の間を流れる桂川上流に夕日が沈み、橋の赤とマッチしてとてもロマンティックな風情を醸した1日の終りです。宿は”ホテル桂川”可もなければ不可もなし、普通のホテルで印象はありません。

 16日、午前9時に家に電話し様子を聞くと、まったく暇との事に側にいたカミさんが一指し指で合図はもう1泊のサイン。「・・・じゃ、いいかな?もう1泊しても!」息子の嫁さん三奈ちゃんが明るく「ハ~~ィ!良いですよ、気を付けて~!」「じゃ、頼むね~!」でまたまた突然決まった2泊目。早速、ノートPCを開き宿泊先の検索し”堂ヶ島ニュー銀水”に決め電話するとOK!で一安心。午前10時にチェックアウトを済ませ、修善寺隣の駐車場に車を止め
修善寺を見学。

  修善寺
修善寺温泉発祥の寺で、温泉場の中心にあります。平安初期の大同2年(807年)に弘法大師が開基したもので鎌倉初期になって建長年間(1250年頃)に蘭渓道隆(臨済宗鎌倉建長寺開山の宋禅僧)が住し、桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから当時は肖廬山と号した。応永9年(1402年)には火災を蒙り伽籃を全焼して寺は荒廃し衰退した。その後、延徳元年(1489年)に至り、韮山城主の北条早雲が外護者として再興し、叔父の隆溪繁紹(遠州石雲院)が住んで曹洞宗に改宗され山号も福地山と改められ今日に至っている。



 寺の印象は大伽藍を想像していましたが、思っていたより小じんまりとした寺の割に鐘楼が素晴らしく立派で、境内は掃き清められており、寺をお守りする方々の気持ちが感じられる名刹である。11時の新井旅館見学時間までの時間潰しに独鈷の湯に立ち寄り「パチリ!」

独鈷の湯(川の中州にある建物)
大同2年(807年)に、弘法大師がこの地を訪れたとき、桂川で病みつかれた父の体を洗う少年を見つけ、その孝心に心を打たれ「川の水では冷たかろう」と、手にした独鈷杵(仏具)で川中の岩を打ち、霊泉を湧出させたという。そして、大師が父子に温泉治療を教えたところ、不思議なことに父の十数年来の固疾はたちまち平癒したと 伝えられ、その後、この地には温泉治療が広まったという。修善寺温泉発祥の温泉で、伊豆最古のものだそうです。



 見学時間になり、入館するとロビーには人だかりがしており、その人達30名程は見学者の皆さんでした。説明員の話に熱心に聞き入り、途中で私に入った携帯の音で注目され恥ずかしい思いを致しました。

新井旅館
 創業明治5年の老舗旅館、建物全体が登録文化財で現在営業中。文化財の中に宿泊出来る事が凄い事だ。 玄関正面に掲げられた横山大観 書「 忙帯腰 」意味は温泉に入りあまりの気持ち良さにふんどしを付けるのを忘れてしまったとの事です。まさに言い得ており、画伯の印象が人間的になり絵を観る
見方が変わりました。

新井旅館に訪れた多くの文人・墨客達



 新井旅館 渡りの橋
 玄関ロビーから雪の棟へ架かる太鼓橋天平風呂の柱、風呂に座って池の鯉が水族館の様に見える設計、瓦、庭園、木々、池、庭内の川、その他 各所に匠の技を観る事が出来ます。 案内して頂いた1時間がアッという間に過ぎる楽しい一時でした。テレビ番組で、いにしえ人の品々に値段を付ける番組があるが、新井旅館を訪ね、その中に身を置き、かの番組に一抹の寂しさを感じてしまいました。




 虎渓橋近くの陶器屋さんに入り、見回すと、お酒を注すのに丁度良い、片口の器を見つけ土産に買い求めました。車がすれ違うのも大変な路地のある修善寺町は昔ながらの風情を残すスマートボール、射的、玉込めパチンコ屋等が今だに点在し良き時代の温泉宿の町並みを残し、とてもしっとりとした素敵な町です。 池に浮かぶ能舞台がある名旅館”あさば”の近くにある蕎麦屋”朴念仁”にて蕎麦を食す。フランス産のカモを使ったと言うカモ南蛮は、良いダシが出ておりグッドでしたが蕎麦、かえしはこだわりの店としては普通でしょうか。

 修善寺を後に、久し振りに西伊豆の海岸線を走ってみたくなり、達磨山を越え戸田村へと向かう。


修善寺から戸田村に向かう途中、達磨山展望台からの富士山

快晴、無風のポカポカ陽気に誘われるように、ルート途中の達磨山展望台に立ち寄ると、眼下に駿河湾、奥には雪を頂いた我らが富士山が一幅の絵の様にいい眺めで、まさに富士五湖は富士子さんの手鏡、駿河湾は立ち鏡といったところであろうか。戸田までの下りは、急カーブの連続九十九折れで車酔いされる方は、まず下まで持たないであろう難所です。村の中、海が見える信号を左折し人家が

無くなる所で右を見ると戸田港の向うに富士山が見えるのを発見、デジカメを取り出し「パシャ!」カメラの音に似せた電子音が虚しく響く。 このデジカメの電子シャッターはどうも如何にもと言う感じでスキになれない。 写真の方は、戸田岬、戸田港、船、松すべてがマッチしてバランスが良い。



 戸田港からの富士山       

 戸田から土肥までは海岸線断崖の上にある林道、木々の向うに時折海が見えるそんなコースで、ドライブには目線に海が見える湾岸道路の方がスキである。 国道136号線を南下して行くと右前方に三四郎島が見え、大きく左カーブした右に宿泊先”堂ヶ島ニュー銀水”午後3時30分チェックイン!  部屋の窓から見える夕日は格別、西伊豆は何と言っても太陽が海に沈むサンセットを見るのには最高に良い所、ロマンチックな地方です。
堂ヶ島の夕日

 ”堂ヶ島ニュー銀水”は、ホテル100選に選ばれるだけあって、とても心使いの行き届いたホテルです。大きいホテルですが、旅館の様にとても細やかなサービスを提供してくれ、行った日は平日の閑散期にも係わらず8割の入りに驚くと共に、帰る時には納得してしまいました。 夕食は部屋出し、料理、素材、ボリュ-ム言う事なし、仲居さんが絶妙のタイミングで運んでくれます。朝はダイニングでのバイキング形式ですが、このホールが見事、圧巻です。テーブルの前方160度が開け、左に三四郎島と後は太平洋、今まで行ったホテルの中では1番のロケーションです。仲居さんは同じ方が朝まで変わりません、朝、新しい仲居さんに代わりますとどうしても気を使いますので、このサービスは結構嬉しいです。チェックアウト時、仲居さんが荷物を持ってフロントまで誘導し、清算をしている間に部屋に取って返し、室内をチェック忘れ物のある無しを確認、客にその旨をお知らせするサービス。交通安全祈願した折鶴にご縁いや、5円のお守り、おもりを付けた飾りをさり気なくプレゼントするサービス等、さすがです!
 また、行きたくなるホテルです。

 
  長八美術館
 10時、ホテルを後に下田をへて、東伊豆海岸線を北上する事にしました。松崎町を走りながら、以前立ち寄ろうと思っていた場所長八美術館に寄りました。こちらは左官の名工”入江長八”漆喰(シックイ)の芸術です。浄感寺が記念館になっており、丁度館主がおられ説明をして下さいました。寺の為に書上げたフレスコ画の竜、漆喰で塗り重ねた天女”彩雲”。寺は南北に建っており、東から上がり西に沈んで行く太陽の光線を巧に計算し差し込む光りで竜の目が輝きを増したり天女のなびかせた衣がヒラヒラと動く、太陽光による演出。もし、偶然で無く、ホントに効果をそこまで計算して創ったとしたら・・・・!  松崎をお通りの際は是非お立ち寄り、ご覧下さいお薦めです。
   
 下田を回り北上、伊豆高原の大室山へ
こちらも何時も通りすぎるだけで寄った事のない場所です。2人乗りリフトで5分ほどで頂上、ご飯茶碗をひっくり返した様な形の山で、富士火山帯の中にある火山上がってみますと爆裂火口がきれいに円を形成しており火口の大きさ、城ヶ崎まで流れ出た溶岩に地球の息吹を感じました。写真はゴルフ場の上が伊東市、相模湾です。 

 つらつらと考え、今回の旅行に名前を付けますと「伊豆再発見の旅」とでも致しましょうか。ま、今までが忙しかったり、ゆとりが無かったと言う事でしょうか。子供達を引き連れ海水浴へ、また、釣りへダイビングへとただ目的地まで一目散でした。 人生もハーフを過ぎ、そういったゆとりが出来た事を喜んで良いのか、また、若い時の様に目的に向かって突き進む情熱、集中力がなくなって来た事が悲しいのか解らないが、どちらとしましても旅行が出来る環境にあるという事は、とにもかくにもありがたい事ではある。