2010年3月25日木曜日

八友会伊勢旅行

   平成22年3月7日~8日        
  
 今まで無事生きて来られ、還暦を迎える事が出来た事に感謝すると共に、これからの安泰を伊勢の神々にお願いする為に、地区同級生夫婦27名で出掛けた。
バスは運転しながら、その地の歴史を語る新倉レンタカー名物社長渡辺氏の運転するサロンバスだ。
            

 早朝の5時出発。小父さん達のバス旅行は、良く飲むので各サービスエリア毎にトイレ休憩を挟み、やっとの事、6時間で伊勢に到着した。てこね茶屋で昼食を取り内宮へ向かった。宇治橋の欄干前にて夫婦で記念撮影をしたが、それぞれの夫婦がファインダーの中で良い味を醸している。やっぱり写真は嘘をつかない、見た目と写真は違うのだ、人生60年、髪の毛が抜けるもの、白髪頭、顔に刻まれた皺、メタボで崩れた肉体、それぞれが培って来た歴史を刻み込んでいるのを、カメラは容赦なく映し出し、驚いた。

       
    

 小雨舞う内宮は沢山のお参り客で溢れ、行列は途切れる事無く内宮殿まで続く日曜日だからなのだろう、凄い人出だ。神官に案内され一つ内側まで入り参拝した。 その後、おはらい町を散策したが昼時でもあり、店内は元より道路まで賑わいをみせていた。おかげ横丁のおかげ座へ入った。ここでは伊勢参りを映画やCGを使い分かり易く説明してくれ、昔の街並みを再現してあり、楽しく勉強出来た。
 
              


 伊勢では街道沿いに御師(おんし)町を形成し、参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をして来たが、我が富士吉田市の上吉田では、御師(おし)と呼び、富士山へ登る富士講の方々の世話を、古くは鎌倉時代か室町時代初期からして来た歴史があり伊勢が近しく感じられた。唯々残念なのは、伊勢には沢山のお客様が訪れるが上吉田にはお客様がいない現実があることだ。

 15時には伊勢市内の 伊勢国際観光ホテル へチェックインした。
このホテルを選んだのは、メンバーから夫婦二人同室で良い旨の了承を得たので市内の、ど真ん中にした。朝食付きで1人5650円。海辺のリゾートでは、こうはいかない。宴会はホテルから100メートル程離れた宴会屋”八百正”飲み放題状態で一人5000円掛からなかった。ついでに、熟年女中の仲居さんがダンスやカラオケで場を盛り上げてくれ、これは計算外で楽しく、大いに盛り上がった。

           

 20時に中締め、二次会は近くの”スナック花”2時間の貸切で一人2600円。カラオケ歌い放題。そして解散、各部屋と帰るが、三次会、四次会まで伊勢の夜を楽しむものもいた。

 朝食は期待していなっかったがバイキング方式で結構美味しかった。予定通り8時出発、バス運転手の奨める真珠屋、お土産へ立ち寄ったが、思ったより時間が掛かってしまい、二見ヶ浦を訪ねる事が出来なかったのが残念だった。

                

 9時30分、車の止まっていない広大な駐車場へバスを止め 伊勢ちょんまげワールド へ
入場した。水族館も遊園地も真珠島もメンバーは訪ねており、ここだけは誰も来ていなかったので選んだ。ウエブの口コミ情報をみたら閑散としており、皆から叱責を貰うのを覚悟していた。欣ちゃんプロデユースの劇に魅力を感じて選んだので、10時に開演する山田奉行所に間に合って良かった。





 山田奉行所は、お代官様の前で繰り広げられる船頭と乗客のコントだったが、船頭役の藤本君(HPから)が目力があり、声も良く場内に響き良かった。一通りコントが終わりメンバーの中から堀川君が代官役に選ばれ、ちょん髷とカミシモを付けてふん装したが中々似合い、他のお客様からも沢山の拍手を頂いた。役者を相手に上手に遊ばれ、転がされ場内は爆笑の渦、さすが欣ちゃんプロデユースと膝を叩いて奉行所を後にした。

 劇をメインに行動した。11時からは笑え亭だ、その間に、からくり迷路や妖怪屋敷を回った。笑い亭では戦国時代の侍と家来のコントだったが、今一で、もっと笑いて~!と思った。笑い亭から出て、エスカレーターに乗り、駕篭型バスに乗り換え安土城へ向かった。結構場内は広いのだ。安土城は鉄骨コンクリート製だが、遠方から見ると結構威風堂々としており、本格的な城が無い山梨県人としては、レプリカでもチョッピリ羨ましくもある。城内の見ものに大したものはないが、眼下に広がる展望は本物、天気が良かったので伊勢湾から知多半島まで見えた。

 12時開演の大忍者劇場へ入った。
忍者ものの劇であったがシリアスで、余り面白くなかった。お客様を呼ぶには、もう一つ工夫が必要だろう。団体料金で入場したので1人3300円、ま、こんなところだろうか。大いに楽しんだので料金が高いとは思わないが、一般客で入場すると3900円は高いかも知れない。昨日歩いた内宮と、おはらい街の人で溢れるギャップが、我が富士吉田市と似て年間市内を通過する人口は1500万~2000万もいるのに市内を訪問する方は・・・。 ちょんまげワールドと悩みは一緒の富士吉田市だ。

              

 チョット遅れた昼食は、松坂市内の焼肉「一升びん」を予定していた。
一般道を50分程バスは走り13時20分に宮町店に到着した。ラストオーダーは14時だ。慌てて生ビールを注文、頼んでおいた肉を焼き始めた。この店を選んだのは珍しい回転焼肉があるからだったが、残念な事に回転するのは夕方で、昼は回らないのだ、調査ミスだった。 しかしながら、安価で旨い!さすがだ。久し振りに旨い焼肉を食した。飲んで食べて1人3600円お薦めの店、近くにあったら常連客になる事間違いなし。

 帰りのバスは静かだ、腹も一杯になり皆暴睡である。あれほど止まったサービスエリアも富士川IC~松坂IC間で一度トイレ休憩しただけだった。富士吉田へ到着後、夕食予定だったが、帰りが遅くなるのを理由に、到着と同時に解散する事に車内で決まり、富士川サービスエリアで、各自が自販機で食券を買い求め夕食をとった。幹事は1回楽出来たのだ。20時、富士吉田に到着した。皆、何事も無く帰る事が出来て良かった。

 17人いた仲間も、現在14人。2人亡くなり、1人は消息不明だ。今から絶対に増える事はなく、間違いなく減って行くだけだの町内の幼馴染み。これからも仲良くして、沢山の想い出を作りたいものである。

2010年3月10日水曜日

四国を訪ねる旅

    平成21年11月4日~6日   

 前日、森ちゃんに電話して集合出発を5時半から5時に早めた。この5時が後で効いて来るのだった。

  -------------- 4日 -----------------

 4日、定時に出発した。中央高速は祭日の後だからなのか、多少混んではいたが停滞する程ではなかった。首都高、芝公園辺りへ来た時、森ちゃんが「ガソリンランプが点いてるヨ!」「ホントだ!おかしいな、昨日入れたばっかりなのに・・」暫し考える、昨日燃料は入れたのに、まてよ、昨日入れたのは軽四だ!この車には入れてなかったのだ。

 空港中央のボードが出た頃、燃料計のランプが消えた。ここで燃料切れを起こしたら万事休すスリルに満ちた出発となった。浮島ジャンクションを廻り込んで最初の信号を左折すれば、車を泊めるサンパーキングだ。6時30分、何とかガスは持ちインジケータも一番下が、まだ点いている。モービルの看板が見えたのでガソリンを入れるべく向かったが、店はまだ開いていなかった。通りをチョット走ればあるら・・・位の乗りで次の店を目指すが、1キロ走った次の店も開いていない。もう少し走って・・・「ランプが消えたヨ!」と森ちゃん。Uターンし、ヒヤヒヤものでパーキングへ戻ると50分、ヤレヤレである。

 ホッとし、手続きを済ませ送迎バスに乗り込んだが直ぐにバスは出ない。他の客のゴルフバックを積み込んでいるのだ。ふと、フロントガラスと見ると「お急ぎのお客様はお声を掛けて下さい」とある。「7時20分のフライトなんですが・・・!?」運転手君は時計を見ると「間に合わない!」と一声積んだゴルフバックを投げるように降ろし、空港へ向かいバスを走らせた。7時は回っている。運転手君は、かなりのスピードで急いでくれ、ジャルの前に降ろしてくれた。お礼もソコソコにセキュリテイーチェックを受けチェックインを済ませるとアナウンスが「徳島空港行1431便・・」4番乗り場を目指すが、300メートルはあっただろうか、通路が長い長い。最後の動く歩道の向こう側に係りのお姉さんが・・・手を振るとお姉さんも手を・・・4人は最後の乗客だった。
 7時20分、1431便は定刻に徳島へと向かった。
 
   かずら橋

 徳島空港近くのトヨタレンタカーでプリウスを予約して置いた。
手続きを済ませて乗り込むが、カーナビとの相性を合わせるのに30分程掛かり、手間取ってしまう。一番簡単なのは、行き先をカーナビに電話番号入力し、カーナビ様のおっしゃる通りに運転するのが良いだろう。普段使っているのに、気付くのに1日費やしてしまった。 徳島ICから徳島自動車道を西へ進み、井川池田ICを通り、甲子園の覇者池田高校の近くを通り、大歩危・小歩危へ向かった。V字狭の斜面を車は下るのだが、川は手前に流れ変な感じがした。祖谷のかづら橋を見に向かった。祖谷(いや)渓は、昔々、平家の落人部落があった所で、追っ手に追われた平家の人々は、良くこの山深い土地に住み着いたもんだと感心する、また、今でも住民が住んでいるが、平らな土地が少ないので、山の急峻な斜面にへばり付くように家を建て、暮らしているのが印象に残った。  

    

 13時を回った頃、桂浜へ到着した。駐車場へ車を止め、近くのレストランでカツオのタタキランチを食べたが、切り身の1枚が普段食べているものと違い厚く、またプリプリして美味しかった。店を出て、松の茂った丘を越えると台風中継の時に、いつも映し出される光景が広がった。周囲を見回すと、今下りて来た左手の丘に竜馬の顔が見えた、そう坂本竜馬の立像だ。
 石段を登り対面したが、思っていたより大きくて驚いた。右手を懐に入れ、遠くを見つめ視線の先にあるだろう日本は、今、その熱き思いを受け継いでいるだろうか。 立像の隣にある建物は竜馬の視線で太平洋を見られるように、仮設で作られていたが有料だったので登らなかった。来年は、NHKの大河ドラマで竜馬伝が放映されるそうなので高知県はブームに湧く事だろう。その後、近くにある坂本竜馬記念館へ立ち寄り、竜馬を勉強した。

 15時0分、四万十市へ向かった。
          道の駅あぐり窪川

 途中で何人ものお遍路さんを見かけ、改めて、四国の道路を走っている事を自覚させられた。
お遍路さんはブラブラとした歩き方はしていない、しっかりと目的を持った歩き方をしており歩いているだけで違いが判る、そんな感じだ。歩道を歩くお遍路さんの為に、そうしてあるのか判らないが、とにかく綺麗に歩道脇の草が刈られ整備されており、ゴミは殆ど捨てて無かった事に驚いた。そこへいくと我が山梨県の現状は、観光立県を標榜しているがチョット寂しく、まだまだ。 カーナビに従い走り、薄暗くなった頃、四万十市へ入った。なごみ宿”安住庵”は小山の上にあり、1車線の山道を300メートル程登った頂上にあり、部屋の窓からは四万十川が観えた。ここは周囲に何もない、静かな一軒宿だった。

  -------------- 5日 -----------------

 風呂も良かった、追加料理のサワチ料理も美味しかったし、コンパさんも明るく、明瞭会計で楽しい四万十の夜を過ごしたが、朝出発時にご主人に写真を撮って貰い、サー!出発と云う所でご主人は、何か用事でもあったのか引っ込んでしまい、建物だけに見送られ安住庵を後にしたやっぱり最後は、感謝の意を込め頭を下げ、手を振り決めないと・・・他人事ではない、帰ったら実行しなくちゃ ね。 

   

 千母船(センバセン)に乗る事にして、出発時間の10時までアカメ館で土産など見ながら時を潰すと水槽の中にアカメ(魚)がいた。アカメは「釣りきち三平」で初めて知った魚で今回初めて本物に出会えた。目が赤く口がとんがっているのが印象的で、精悍な顔を持つ魚だ。

  

 船乗り場は専用バスで3キロ程上流の場所にあった。20人程乗れる船だが、お客様は6人だけで、後で知るのだが、11時出発の船は1人だけだった。千母船(センバセン)の船頭は訛りで語るおじいさんで、ゆったり流れる四万十川と相まって、短い船旅の雰囲気を盛り上げ、楽しいものにしてくれた。千母船は帆かけ船だ、屋形船や渓流下りは、皆さん体験されていると思っていたので> この船に乗船する事にした。船は上流の中洲に係留し、撮影大会となった。

 千母船は喫水の浅い平らな船で、薪や炭が千バも積める?ところから付いた名前で道路の整備されていない昔は、この船が重宝され、上流からの物流の中心だったと船頭が教えてくれた。川の上流には四万十川に掛かる沈下橋も見える。千母船と沈下橋、実に絵になる。川底には産卵を終えた鮎が横たわっていた。それを、小さい網で獲る船頭の為に船を安定させるよう棒を使い操作し、漁師気分を楽しんだ。船遊びは楽しい。 川を下る時、深場の川底をかなりの大型魚が2匹横切った、あれはアカメだったかも知れない。日本で唯一、ダムの無い大河 四万十川、千母船での川遊びは、想い出深いものとなった。

    

 川遊びから戻り、321号線を足摺岬を目指した。
窪津漁港から先の道路は所々狭い一斜線になり走り難いので、お奨めは山の上を走るルートが良いだろう。当初、足摺岬はルート上、回り道になるので多少行く事を躊躇ったが、行って良かった。太平洋に突き出す突端で残がい絶壁の迫力あるロケーションが見事で、時間にゆとりがあれば入り江を回り込んだ対岸の東屋から、夕日が太平洋に沈むシーンを灯台と一緒に撮ってみたいと思った。ジョン万次郎の立像も立派で、龍馬に負けず迫力あり立ち寄る予定になっている記念館への想いが募った。また、直ぐ近くにある38番札所の金剛福寺も名刹で、沢山のお遍路さんがお参りしていた。近くのレストラン”つばき”で食べた昼食のウナギも頭を付けたウナギで、頭が「中○産ではないぞ~!」と、自己主張しているようで美味しかった。別注で注文した鯨とトコブシも旨く当たりの店、行かれる方にはお奨めだ。

     
   
 
 14時30分、カーナビに道後温泉”ふなや”を電話番号入力し、ナビに従った。尾根道を下り、楽しみにしていた足摺港のジョン万ハウスまで来ると、何と!改装中で入れなかった。残念だ~!もう一回出て来いと云う、ご託宣であろうか・・・涙を呑んで後にした。

 カーナビに従いルートを取ったら、山間で川沿いの山道、舗装はされていたが殆ど1車線民家も無く対向車も余り無く、一人では走りたくない道を延々と50キロ程走らされた。時間を短縮したのか回り道になったか判らぬが、とにかく宇和島市に出る事は出来た。 

         
 
 16時、宇和島自動車道から西側空に綺麗な鱗雲があり、走行中の助手席から手を伸ばし撮ってみた。ボツボツ明かりが点き出した街並みの向こう側には宇和海が見える。17時30分、松山自動車道から松山市内へ入ると携帯が鳴った。今夜泊まる宿
ふなや”さん、からの確認電話だ、ナビは”ふなや”を表示しており「直ぐ近くまで来ていま~す♪」と答え、直ぐにチェックインして風呂へ入った。まるで計ったかのように全行程の到着時間も、ほぼナビの通り、カーナビはやっぱり凄い。

 旅行の下準備の為、ネットサーフをして道後温泉を検索している内に、芸者・松山検番を発見し”ふなや”さんで、千代鷺さん、地方のとんこねえさん、豆千代ねえさんを当日、お座敷に呼んで貰えるか聞いた所、翌日、三人とも来て貰えると返事を貰った。しかしながら、半身半疑だった。売れっ子の3人が来てくれるはずはない。当日、代理の芸子さんでも・・・なんて思っていた。

 19時に座敷をお願いしていた。少し早めの15分前に食事処へ出掛け、襖を開けると、何と3人が並んで座っているではないか・・・それも全員が指名したお姉さん本人である。嬉しいのなんの・・・!一変でテンションが上がってしまった。食事は何を食べたか忘れた。隣の部屋からカラオケの歌声が流れて来るが、とんこ姉さんが三味線を弾くと、結構大きな音が鳴り、隣のカラオケは前々気にならない。お三味の音は大きく響き旅人4人を、タイムスリップへと誘う最高のBGMとなった。白塗りって良いな・・・日本髪も・・・舞も・・・地酒も良いが、視覚でも酔わされる事を知ったお座敷遊びを中に挟み、あっ!という間の2時間30分、日本情緒に触れる実地体験をさせて貰った。癖になりそうな予感がする道後温泉の夜だった。

 昔の青年、吉村さん、大森さんも、こう云う遊びは30年振りで、実に楽しかったと、お褒めの言葉を頂いたのは言うまでも無い。お客様を上手に遊ばせてくれる松山芸者のお姉さんは、道後温泉にいらした際は是非、お薦めだ。
 


  -------------- 6日 -----------------



 昼の道後温泉は旅情を増す演出が至る所に溢れていた。レトロな路面電車を走らせ、案内人にはマドンナや書生の格好をさせ、観光施設には明治時代のコスチュームを着させた係りを配置し、街を歩いているだけで楽しいホスピタリテイーを感じる居心地良い街だ。
 
 道後温泉本館の建物は100年以上経っており、あのミシュランも三ツ星を付けた歴史的建築物ではあるが、今も公衆浴場として使っているのが凄いところだ。全国にある温泉施設のお手本になった事だろう。個室の一番奥には、夏目漱石が良く使っていた部屋も見学用に開放されており、風呂に入っては仲間と酒を酌み交わし、また小説「坊ちゃん」の構想を練ったのかもしれないと、思いは巡った。

 又新殿(そうしんでん)と呼ばれる施設を見学したが、こちらは皇族が使う為にだけ造られたそうだ。城大工の坂本又八郎棟梁が全霊を懸けて造った建物で、城の天守閣に似ている、かなり贅沢な建物だ。

  
  



お天気も良いのでリフトに乗り松山城を見学した。加藤善明が勝山山頂に築いた平山城だが、天守閣から街を見下ろすと山の標高が 132メートルとは思えない程ロケーションも良く、高い所へ登った気がして築城の巧みさが見て取れた。

 NHKの番組で「坂の上の雲」も始まる。明治の偉人、この松山が出身地の正岡子規・秋山好古・秋山真之 三人の物語だが、この地を訪ね番組への興味が増した。  




 家からの走行距離670キロ、無事帰って来られて良かった。四国をSの字で周遊し巡って来たので、かなりハードだったかもしれない、こんな芸当が出来るのもネットとカーナビと省エネ車プリウスがあったればこそ四国は信仰の地、お遍路さんが直向に歩く姿に感動さえ覚える良い旅だった。

  また積み立てをして、来年は北海道へ GO!の予定だ。

 談合坂SA 味噌カツ