2001年11月27日火曜日

九州 黒川温泉、湯布院、別府を訪ねて

13年11月7、8、9日 

 予ねてより、次の旅行は九州、湯布院と決めていたが、お陰様で不景気の中ではあるが、ありがたい事に中々休みが取れない。だが、11月になり、少しずつ暇になると共に気持ちは旅行モードのニュートラルにあった。家内が予約台帳を確認、予約が少ない日を選択し、現地のお天気情報を見ると1週間は晴れマーク、よし、旅行決定! 相変わらずの突然旅行だ。

 5日午後4時、旅行を決定し、PCに向かい航空券を予約し、宿を見付けるべく画面に宿の一覧表を出し電話を掛けまくった。レンタカーの手配をし、羽田の駐車場の予約を入れた。2時間を要したがインターネットならではの離れ技であった。JALのチケットレスサービスを初めて利用したが、このサービスは、電話やインターネットで予約とクレジットカードによる航空券の購入が一度にできる便利なサービスで、後は利用当日にクレジットカードを持ち、空港カウンター隣にあるチケットレスコーナーでクレジットカードを差込み、必要項目を画面でプッシュすると航空券が出て来る、とても便利なシステムで2%の割引がある。ただし、クレジットカード番号を入力しなければならないのが今一つ不安の材料である。

 この時期は、秋の行楽シーズンで、さすがに2日前では人気度1番の黒川温泉に空いてる宿はなかった。仕方なく湯布院と別府に宿を求めた。湯布院は「山水館」、別府は「鬼山ホテル」が取れ、共にインターネットプランでお願いした。大分空港からトヨタレンタカーを利用する事にしていたが、ネット予約 に予約可能期限があり、出発の3日前~から なので、2日前の予約では通常料金であった。残念! 羽田空港Pはしっかりネット割引をさせて頂いた。 故に、今回の旅行におけるデジタルデバイド(PC&インターネット等の情報技術(IT)を利用してアクセスする機会を持つ者と持たざる者との間に、情報格差が生じるとされる問題)を金額に換算すると2人で15000円以上はお得だろうか。

  7日、5時45分 自宅を出る。
 通常だと中央高速を使うのだが集中工事で停滞が予測されるので、東名高速にて横浜廻りにした。狩場インター手前が混んだが7時30分には空港に到着した。P-13Fの駐車場に車を置き空港パーキングの指定の携帯に電話を入れ、2番ゲートで係員に3日分7000円を支払い車のキーを渡した。空港は、私のお気に入りの場所の1っだ。エレベーター近くのカフェで朝食を取りながら行き交う人達を眺め、その人達のドラマをイメージする。9月11日のテロの影響で1人500円警備費を取られた挙句、そのお陰で検査が厳重になりチェックインの時間が余計掛かるが、自由と安全は金を掛けなければ得られないのだ。

  9時10分 定時の離陸。  10時40分着陸。 快適なフライトだった。

 初めての大分、快晴、気分爽快! 1Fインフォメーション隣でトヨタレンタカーの迎えを待った。10分で送迎車が来るが、店は道を150メートル程離れた場所にあり、知っていれば歩いて行った方が早い。カローラのナビ付きを借り32500円を支払ったが「予約に3日以上間があったら、ネット割引が受けられたのに・・・」と、悔やんだ。 

 空港から大分空港道路を走り、第一番の目的地である黒川温泉に向かった。なぜ、黒川温泉かと言うと、うちのジャランの担当である佐藤さんから、今、「一番人気は黒川温泉ョ!」と、今年の春先にご指南頂いたのだ。調べると、熊本県の小国町の東南に位置し、田の原川沿いの温泉街で深山幽谷雰囲気満点の黒川温泉。今から15年程前に旅館の二代目を中心に積極的に植樹し、露天風呂施設の充実、料理の工夫接客方法などを充実させ、女性が満足する湯宿作りに徹し人気が高まり、今では女性が行きたい温泉地のナンバー1だそうだ。アクセス条件が劣る小さな温泉街で何と年間宿泊客が約30万人、日帰り入浴客はその2倍から3倍と言わている。

  日本鑑定 温泉物語 黒川温泉物語をご覧下さい。

  この小さな温泉街に女性専用の露天風呂が20もあり、小国杉で作った入湯手形を1200円で購入すると3っまで入湯出来て外湯巡りが楽しめる、1っの湯が400円だ。こんな工夫の1っが黒川温泉の魅力になっているのだろう。 そんな場所を自分の目で> 確かめ、人々を魅了するモノが何なのかを勉強するのが、今回の旅行目的だった。

  午後1時、九重ICから、387号線を走り黒川温泉に到着。 川沿いの小道を歩くと、いこい旅館の玄関横に、開放されたお客様用囲炉裏があった。囲炉裏の間のすすけた障子には「居恋旅庵」と書いてある。側に「おでん・鮎の串焼き」の値札があり、午後1時を回り昼飯前だったので、先客が3名いたが囲炉裏に座らせて頂いた。聞くと、店員はいないので勝手に鍋からおでんを器に取り、食べて器を洗い料金を置いて行くのだそうだ。そう言えば、鍋の横に剥き出しになった入れ物に千円札も混じり入っていた。すきっ腹に辛子と、人情と信頼の味付けをしたコンニャクが美味しかった。散策した帰り道に「旅館山の湯」に併設された食事処「山久(やまひさ)」に立ち寄った。建物の中は黒光りした柱で板の間、各所に囲炉裏があり炭が赤々と燃え昔、生まれ育った実家を彷彿させてくれた。BGMにはジャズが流れていたが違和感は全然感じられない、むしろ、そのミスマッチかと思う自分の感性に錆びを感じてしまった。地鶏、厚揚げ、豆腐、地ビールの「湯上り美人」を頂いた。 黒川温泉の印象は、黒川の人たちが自然を大切に育て、共に栄える為に知恵を出し合い総合的に醸し出す何処か懐かしい素朴な故郷を創り上げ、実際にそこで暮している事だ。ガードレールの色を白から茶に塗り替えたり、看板を統一したり、自販機を道路沿いから撤去したりする努力を考えた時に、張りぼてではない本物なのだと思わずにはいられない。
  

風の舎(黒川温泉組合)・ 道路沿い休憩所 ・   黒川の心  ・  いご坂地獄


首なし地蔵の由来 ・   田の原川   ・  奥の湯  ・ 食事処 山久にて


   水場   ・   居恋の囲炉裏   ・  いご坂地蔵  ・  街並み

   3時30分、黒川温泉を後にした。やまなみハイウエーを快適な青空のドライブ、少し開けた窓から入る風がとても気持ち良い、一路湯布院へと向かった。途中立ち寄った長者原から見た三股山、右手から上がる火山生蒸気ガスが九州が息を吐き出している様に見えて印象的だ。


やまなみハイウエーから・  三俣山   ・ 由布院駅   

 4時30分、湯布院到着。まずは駅を目指した、ナビに従って走ると眼の前に、会社の角印に似た黒い瀟洒な駅舎が見えた。まだ日がある内に由布院町の様子を調べるべく、駅前広場でUターンしてウオッチングをした。ホテルの位置確認をして金鱗湖、玉の湯、亀の井別荘と暗くなるまで周った。 

   5時、宿泊先の山水館にチェック・イン
  1人、17000円の和洋室でドアを開けると洋間になっておりツインベッドが2台、右に独立したトイレがあり隣は洗面脱衣室と浴室だ。洋間の左に8畳の和室。夕食、朝食は会場で行なう普通のホテルで、これといった特徴がなく、半年もたたない内に忘れてしまうだろう。設備的には廊下の声が筒抜けだし、食事も値段の割に美味しくなくお薦めのホテルではない。
 
  朝7時起床、窓を開けると霧が出ており薄暗い。寝ている家内を残し、湯布院名物の霧が掛かった風景を撮影すべく、車で狭霧台に向かった。町を抜け、山を登り始めると段々と霧は消えて、気持ちいい青空が由布岳のバックに広がっていた。狭霧台に着くと、既に10人近くのカメラマン、観光客が霧を眺めていた。街を覆った霧は太陽の光線、風に揺らめき留まらず変化し、とても幻想的で印象的だ。でも、この景色は見た事があった、忍野村の二十曲り峠からであった。カメラマンは見掛けたが、この地の
様に観光客までは見なかった。まだまだ、忍野村にも観光資源は眠っているのにそれを生かす事が出来ないのは残念だな、などと霧の掛かった湯布院の街を見ながら思った。山を下り金鱗湖周辺を撮影すると、見事に霧が由布院を演出していた。


          狭霧台にて    ・   由布岳   ・ 金鱗湖にて 


  金鱗湖にて   ・  下ん湯   ・  金鱗湖にて


由布岳と大分川 ・   金鱗湖周辺にて       ・ 緑の奥のレストラン 

  10時にチェックアウトした。 ホテルに車を止めさせて頂き、レンタル自転車500円を借りて街を見て回った。広い街ではないので街歩きには自転車が丁度いいのだ、天気は良いし風はなく、自転車にあんなに長時間乗ったのは何年振りだったろう。由布見通りをのんびり走った。湯布院の町は大分県知事平松氏が提唱した一村一品運動、村おこし、町おこし、地域活性化運動のいわば原点、そしてモデルと言われる場所だ。  1955年2月、由布院町と湯平(ゆのひら)村が合併して湯布院町が誕生、初の町長選挙で当選したのが岩男頴一氏、当時36歳。1969年岩男町長が国際会議でヨーロッパに渡り西ドイツの伝統的保養温泉地を視察し、71年その報告に感動した若い旅館経営者 中谷、溝口、志手の3氏が借金してヨーロッパに出かけ、50日に渡って同地を見て歩いて来た。湯布院町に帰ってきて以来一貫してやってきた事は「町を気分の良い空間にする」という事で「自分の旅館を立派なものにする」事じゃなかったと語った。そんなディテールのある街に身を置き、違いを見て取れたのは、我町富士吉田市の様なシャッター通りが無く、朽ち果てた住宅、空き店舗なども目に付かず、街が元気だった。 政治が機能している印象を受けた。観光の中心にある金鱗湖から駅寄りの、住宅街にあるどの店舗も周辺に常緑樹と落葉樹をバランスよく植え、緑豊かでとても心地良く この街は自然保護・景観保護の運動も住民と行政が一緒に進んで来たなと感じられた。

 トトロの店   ・    公衆トイレ  ・   公衆電話  ・  道路沿いのお食事処

 数ある店舗の中から気に入った店に、出たり入ったりを繰り返した。トトロの店では給水塔をわざわざ板で覆い隠す工夫が見られた。また、公園のトイレも緑を配したり電話ボックスも雰囲気を壊さぬ工夫が見られ、落ち着いた雰囲気で住民の街の環境に
対する思い入れの凄さ、レベルの高さを感じた。 金鱗湖を回り、木の橋を渡ると亀の井別荘があり、ビジターも買い物や食事が出来る様になっていた。藁葺きの重厚な作りだ、農家を改築したのだろう。中庭で銀杏を焼いて販売していた、試食すると香ばしくて美味しい!1袋買い求め、紅葉の始まったモミジに囲まれて椅子に座り、熱々でホクホクの銀杏を2人で食べた。チョッピリ苦く、でも、しっかりとした味があり大きくて、今までで食べた銀杏で1番美味しかった。悪い癖でついガツガツ食べてしまい、また写真を撮るのを忘れてしまった。

          亀 の 井 別 荘 内 に て                

 金鱗湖を回ると天祖神社があり、石垣の間から清水が湧いていた。湖畔のカフェラリュージュで遅い昼食を摂ったが、前日デジカメの充電を忘れたので、バッテリーが切れそうになり、ホントは青空の下で食べたかったのだがコンセントを借りる都合でレストラン室内の端で食べる派目になった、反省だ。ピザと生ハムサラダを食べたが地物の野菜を使っているのであろう、サラダがパリパリと新鮮で瑞々しく美味しかった。 平日だったが、旅行シーズンと言う事もあり人並みが途切れない、休日の事を考えると住民の方は嬉しい悲鳴を上げているのかどうか、老婆心ながら聞くのを忘れた。


 金鱗湖から駅寄りが観光の中心だ。ショップ、店の前には木々達や、こだわりのディスプレーがしてある。どの店も木々を上手に配し、落ち着いた雰囲気でカメラを構えた時に実に良く絵になり、散歩が楽しくなる街だ。


    玉の湯   ・   入り口    ・  辻馬車   ・とうふ愛す&由布岳 

  午後3時30分、由布院を後に別府へと向かった。 狭霧台の前を走り、鶴見岳の山麓を抜けると1時間程で別府に着いた。別府湾に向かい放射状に広がる坂の街で、あちこちから上がる白い蒸気が印象的だ。宿泊先の「鬼山ホテル」は、やまなみハイウェーの道路沿いにあった。チェックインを済ませバックを部屋に置き、早々に探索に出かけた。近くの白池地獄は閉まる所で受付のお姉さんに明日出掛けて来るように案内を受けた。 夕食までの時間、海を見に行こうと話が決まり、街並みを見ながらみゆき坂を下り始めた。ところが上から見ると近そうに見えた海に中々到着しない、およそ2キロも歩いただろうか6時近くなっていた。食事を6時30分にお願いしていた事もあり、途中ではあるがタクシーを拾いホテル戻った、自分の距離感の当てのなさを実感したのであった。
 
 鬼山ホテルはインターネットプランを使い1人12000円、2人に1本ワインのハーフボトルがサービスで付いた。料理は部屋出し、前日の宿より食事の内容が良かった。部屋は12畳の和室だ、ドアを開け左がトイレ、右が洗面と風呂場だった。露天風呂が広いのが印象的で、板で仕切ってあり、入れ替え制になっており大きい方は100人も入れる程だった。食後、PCを開き、各種チェックをして就寝した。 実は、悲しい性か、旅にノートPCは離せない存在で持ち歩く、食事の後もメール掲示板のチェックは欠かせない仕事で、最低1時間はPCに向かった。いつもは午前2~3時でないと眠りに就かないのに、旅の疲れか10時には床に就いてしまうと年のせいか、眠りの時間は一緒なのか分からぬが5~6時には起きてしまう。そこにPCは格好の時間潰しで最高なのだ!一石三鳥!時間を潰せ、仕事が出来て、繋がりが早い、これからも私の旅には必需品だ。

  9時、鬼山ホテルを後にする。 白池地獄、金竜、鬼山、かまど、山、海、そして血の池、竜巻地獄を周ったが2度と行きたいとは思わない場所だった。地球の息吹である、噴気、熱湯、熱泥を地上に噴出させる地球のパワーを地獄と昔の人は恐れ、敬い、呼んだ。今は自然の恩恵を商業主義そのものの張りぼてで地獄を囲んでいる、こんなのは好きではない。

  白池地獄   ・  山 地獄    ・ かまど地獄  ・  金竜地獄


   海 地獄   ・    貴船城   ・ 血の池地獄   ・ 龍巻地獄      

 血の池地獄に行く途中、家内が山に城があるのに気が付き、寄り道する事にした。こんな事はツアーでは出来ない、自由旅行の醍醐味の一つだ。城は貴船城といった。別府湾、別府の街を見下ろす眺望が得られ、別府を訪ね天気のいい日はお薦めの爽快な場所だ。
 前日、海を見る事が出来なかったので早々に竜巻地獄を見た後、海に向かった。山から下り10号線を右折すると、左に海を見ながらの快適ドライブだ。以前より家内の希望であった砂湯を探して走ると、海側道路沿いに「別府海浜砂湯」があった。
 
  別府海浜砂湯  ・    砂湯    ・  お客様  

 市営の施設で入湯料630円を支払うと浴衣を貸してくれるので、下着を抜いで裸に浴衣を着る、おばちゃんが人型に掘ってくれた砂床に上向きに寝転ぶと、砂を掛けてくれた。砂が体に乗ると砂の重さが少しずつ伝わり、砂の重さを体感した、砂って意外と重いのだ。背中にじんわりと熱が伝わり段々暑くなる、額から汗が噴出すが顔を渡る浜風が冷たく心地良い。後から家内に聞いた話だが、次に来たおじさんの浴衣が風ではだけ、おじさんのお宝を拝見してしまったそうだ、意地悪な風には注意が肝心だ。なお、どちらが大きかったかは聞かなかった。
 15分程で砂から上がり、シャワーで砂を洗い流して内風呂に入った。先に風呂から出たので、海よりのベンチに座り別府湾を眺めながら家内を待った。上天気だ、湾の奥にはボンヤリ四国が見えていた。

 昼飯を別府の街で食べる事にした。別府駅近くの駐車場に入れ、美味しいものを捜してアーケードを散策するが中々気に入った店がない、本場の関鯵、関鯖を食わしてくれそうな店がないのだ。いや正確にはあったのだが時間外で閉まっていたのだ。時計は午後1時30分を回っていた。結局、駅構内の食堂で何処にでもある、何も変わらぬ昼食となった。別府駅を背に空港へと車を走らせると、200メートルも走らない内に暖簾が掛かり、美味しそうな鮨屋があった、ガッカリであった。
        
          別 府 駅 ・   大分空港
 
 空港道路を走り3時30分には大分空港に着いてしまったので、パスして空港を通り過ぎ、コンビニを捜した。なにせ空港は農村の田んぼの中に出来た様な、のどかなロケーションなのだ。見つけたコンビニで疲労回復の為に栄養ドリンクを買い飲んだ。
疲れているのだろう駐車場の脇で、2人共リクライニングを倒し寝てしまった。30分程休んで空港へ向かった。3日間の走行距離280キロ、使用ガソリン17リッター1785円だった。 車を返却して空港に入りチェックインを済ませた。

 土産を売店で買い求め、時間までレストランで過ごす事にした。2階の「スカイライン」に入ると混んでおり、案内係りが「テーブルが低いカウンターでも宜しいでしょうか?」などと言った。良く理解出来ずに案内してもらうと、確かに低く長いカウンターがあった。コーヒーを注文してカウンターを見るとコンセントが等間隔で並んでいた。 そう、モバイル用電源であった、さすがだ、素晴らしい!早速お姉さんに使っていいかと、聞いてみると「どうぞ!」の返事、PCを出してデジカメで撮った写真の編集をさせて頂いた。 このサービスは嬉しいサービスだ、時間潰しと、時間の節約が同時に出来てしまい搭乗までの1時間30分がアッと言う間に過ぎた。

  午後6時30分 離陸  羽田7時40分 着陸

 横浜の狩場インターで間違えて左に曲がり、三渓園をぐるっと回り、横浜新道から東名高速に乗るアクシデントがあったが、10時30分自宅に帰った。 2泊3日の短い旅ではあったが、収穫の多い旅だった。過日の911のWTC以来平和で普通に旅に出掛ける事の出来る幸せ、ありがたさを感じずにはいられない。

 亡くなられた方の冥福をお祈りし・・・ 平和である事に感謝して・・・

  拙文ご覧下さいましてありがとうございました♪