2010年9月19日日曜日

「長浜・近江八幡」研修旅行!

 平成22年9月4日(土)滋賀県「長浜・近江八幡」へ、まちづくり先進地視察研修に
行って来た。メンバーは御山倶楽部8名・本町大好きおかみさん会11名・堀内市長・
富士山課2名の計22名だ。御山倶楽部もおかみさん会も共に、まちの行く末を案じ
活性化の為に行動実践するグループで、そんな所から白羽の矢が立ち、先進地視察研修に
連れて行って貰える事になった。

 午前3時起床し、20分には近所の奥さん2名をピックアップし、サンクルーの
吉澤君と差し入れのパンも車に載せ市役所へ向かった。早朝行動は慣れているが、やはり
3時は早い!バスの中ではウトウトしていた。東名高速日本平PA付近で、オレンジ色の
太陽が昇ったのを携帯で撮り、ツイッターでつぶやいた。 どうやら、つぶやきは習慣に
なってしまったようだ。
 
 下記は今回のタイムスケジュールだが、かなりハードな内容だ。普通であれば1泊2日が
当たり前の距離だが、1日でこなす弾丸ツアーとなった。

03:45  富士吉田市役所 集合
04:00  富士吉田市役所 出発
      東名高速道路 途中休憩
09:00  長浜市 神田PA到着 時間調整
10:00  まちづくり役場にて研修
      黒壁ガラス館等、街中を研修   
12:30 昼食 「ふじ石亭
13:30  バス移動    
14:30  近江八幡市内見学 
16:30 
17:00  帰 路 東名高速道路 途中休憩
23:30  富士吉田市役所到着



 「明治時代に第百三十銀行長浜支店として建築され、その外壁が黒漆喰の様相から
『黒壁銀行』『大手の黒壁』の愛称で親しまれていた建物を、その保存と中心市街地の
活性化の拠点としての活用を目的に、民間企業より8名の有志が集い、長浜市の支援を
受け出資総額1億3千万円で昭和63年4月、第3セクター株式会社を設立した。
 建物の修復と復元を進める中、郊外型大型店舗の進出により、400年の歴史を持つ
中心商店街の長年に亘る沈黙と低迷からの脱出と活性化の起爆剤となるべく、伝統
地場産業にとらわれない、また3セクであることから、既存民業を圧迫することのない
長浜から全国へ、情報発信足りえる事業を模索します・・・長浜の町を南北に貫く
北国街道は、かつて江戸日本橋を起点とした五街道に次ぐ重要な道で、多くの武将や
旅人の往来、荷物の運搬で賑わい、秀吉の時代の城下町に始まり、街道の宿場町として
栄えた一帯は、その伝統を受け継ぎながら近年、ガラス文化と融合することによって
長浜独自の歴史を歩み続けている。」  黒壁HPから


 講義はまちづくり役場近くにある曳山博物館の中で行われたが、会場設営まで時間が
あったので1人で博物館へ入り「長浜曳山祭」に使われる山車を見学した。仏壇創りの
職人が作ったという立派なもので、今まで見た、都留市八朔祭りや、島田の帯祭り、また
小布施の北斎館のものより豪華な気がした。歴史のある街には伝統を受け継いだ良い
祭りがある。曳山で行われる子供歌舞伎は本格的なもので、子供の頃から、こうした
文化に接して成長すると、自然に郷土愛や誇りが生まれ、深くアイデンテイテーに刻み
込まれる事だろう。


 昼食は「ふじ石庭」へ立ち寄った。
ヤンマーの創業者、山岡孫吉氏が箱根の旅館の庭園景色に深く感銘を受け、「住吉園」に富士の溶岩を使って作庭したもので、今は料亭として使われている。「美しき世界は感謝の心から・・・」。園内で創業者の精神にしばし思いを巡らせるが、高い塀の、またその上にまで積み上げられた溶岩は、その昔、大八車へ乗せて運ばれて来たという。その量はハンパでは無く、料亭と塀の間を、膨大な数の溶岩を積み上げLの字に囲んでいる。 この景色は、見た事があった、石切り場だ。その昔、松山地区左数の富士急行沿線沿いは溶岩の切り出し場所だった。厚さ5~6メートルの溶岩の流末一枚岩を端から切り出し一つの石積みブロックとして加工していたのだ。その石切り場の雰囲気に似ていた、怖いくらいオーバーハングし、子供心に冷たい質感で圧倒するように迫る溶岩だった。そんな溶岩を積み上げ、適所に松を配置し、癒しの空間へと変えた庭師も、また創業者も、富士にどんな思いを馳せたか気になるところだ。 石亭弁当を食したが、美味しかったのは言うまでもない。


 2時30分 近江八幡に到着。暑さがピークを迎えた感じで、この日、岐阜の多治見市で38℃を記録、川のそよ風に助けられながら八幡堀周辺を歩いた。バーム・クーヘンで有名なクラブ・ハリエへ入店すると、レジには行列が出来て不況を感じさせない。宮内町日牟禮ヴィレッジと呼ばれる一体も修景がされており、八幡堀周辺の街並みと、まったく違和感を感じさせなかった。近江商人の経営理念である「三方よし」の精神(買い手よし・売り手よし世間よし)が、まちづくりにも生かされ、買い手よし→客がまちを訪ねて楽しくて良し、売り手よし→このまちに住まう事が誇りでよし、世間よし→社会全体で、共生を目指すのがよしと、姿を変えているのかも知れない。 堀の水と板塀、漆喰の白壁と瓦屋根。 河端で目を閉じると、荷物を満載した小船が運河を行き交い、小船から荷物を担いだ若者が倉庫へ続く石段を小走りに駆け上がる、そんな光景が浮かんだ。420年前、豊臣秀次は信長亡き後の安土城下の民を近江八幡に移して楽市楽座を作り、商いのまちとしての繁栄の基盤を築いた。その伝統が今日、八幡堀や町並み保存運動をはじめとする歴史を活かした近江八幡のまちづくりに受け継がれている。 長浜・近江八幡の歴史の厚みは420年前、富士吉田市の厚みは60年前の昭和だ。この差は、行かんともしがたい。物まねではないオリジナル、これしかない。

では、オリジナルって何だ? 富士山があるじゃないか!富士山に向かって伸びる道、富士が綺麗に見える街、これは富士吉田にしかない。景観を大切にする街、富士が綺麗に見える街、富士吉田。 などと帰り道、居眠りをしながらも、真剣に考えた。おかみさん会の皆さんとも、また御山倶楽部の面々とも、長い乗車時間のお陰で話が
出来た。その中で、個々に市内で活動する前向きの団体と、横の繋がりを持つ必要が
あるのではないかと・・同じ市内にいてもバラバラに行動していては、その効果は少ない。3人寄れば文殊の知恵になるのだから・・・。暑い中、弾丸ツアーではあるが、色々学んだ楽しい旅でした。こんなチャンスを頂けた事に感謝である。