2018年10月20日土曜日

西伊豆旅行!

西伊豆旅行! 平成30年8月26・27日

              ----- 行   程   表  -----
 8/26(日)   
11:30 パインツリー発 → 13:15  清水港 →  駿河湾カーフェリー → 14:25  土肥港 → 西伊豆クリスタルビューホテル


 8/27(月)
9:00 ホテル発 → 10:00 中木港 → ヒリゾ海岸 → 12:00 下田市 → 16:30 富士吉田市

 今年は1月に父親と叔母が亡くなり葬式を出しました。8月26・27日は、この地方で最大の祭り”吉田の火祭り”が催行されますが火祭は清浄であることが求められ、特に死はケガレとして避けられます。江戸時代の『富士日記』には(薪を用意せず)「残れるは忌み有る家のみなれば」とあります。家の中でじっとしているか?家を出て旅行に行くか?の選択を要求される訳です。

 『甲斐国志』には、「此村忌服アルモノハ、忌服令ニ拘ハラス、仮令ヒ忌服前年ニアリテモ一年ノ間ハ社参ヲ止メ、祭前七月十七八日迄ニ他所ヘ出行キ、祭日ニ逢フコト能ハズ、篝火ヲ挙ゲズ、祭終リテ漸クニ帰ル、之ヲテマニ出ルト云」とあります。不幸があることを「ブク(服)がかかる」と呼ばれております。
 ブクの家の者は、火祭の神輿や火を見ることを避けなければなりません。ブクの年の火祭には忌みのために火祭に支障があったり、不幸が起こってはいけないので、泊まりがけで町の外の親類の家や旅行に出かけます。これを「テマ(手間)に出る」と言い、近所の家からその家に対してテマ見舞いとしてうどん粉やそば粉などをタマアブチという漆器桶に入れて贈られました。テマに出るとき着てゆく着物を「テマ着ともよびました。テマに出た人は、火祭が終わった日の朝には帰ってきました。また、上吉田から逃げずに家に閉じこもって火祭をやり過ごすこともあり、これをクイコミといいました。 北口本宮冨士神社HPから、そんな風習が伝わるこの地です。例に従いカミさんと共に伊豆へ逃れる事と致しました。さて、伊豆と云っても広うございます、予約は前日、夕焼けと海の綺麗な西伊豆のホテルを2軒目の電話でゲット予約した。

 清水港フェリー乗り場  雲見海岸   ヒリゾ海岸
 何気なくホテルの部屋で夕日を見ていたら、「テマ(手間)に出る?」吉田から逃げるのは何故?と疑問が浮かんだ。葬式は家の一大事である葬儀に3~6日、毎週7日、49日、そして1周忌と故人を亡くした悲しみもそこそこに慌しく1年が過ぎて行く。家に残った、そんな家人を古人(いにしえびと)は、何とか休ませてあげたい、公に旅行にも行かせてあげたいと、叡智を絞り生み出したシステム。それが「テマ(手間)に出る」。もし、そうだったら、何と素敵で素晴らしい風習だろう、などと西伊豆の地で、つらつら
考えるのだった。  

 翌日は奥伊豆、中木のヒリゾ海岸を訪ねた。この地は、今まで何十回も伊豆に来ているのだが初めてである。中木の看板を右折すると係りが3人立っており、近くの空き地に車をめるよう案内された。カンカン照りの中、徒歩で500メートル程歩かされると、漁港の近くに瀬渡し船の案内所がありチケットを購入し、船乗り場に並んだ。瀬渡し船はピストンで行ったり来たりを繰り返しているので1回待ちで乗船出来た。船に乗ると5分程で
ヒリゾ海岸に到着したが、凄い!海岸は人とテントで一杯だ。取り合えず見ただけで船に乗り帰って来た。ヒリゾ海岸は超有名なシュノーケルポイントで透明度を誇る水道となっている。夏の終わりの月曜日にこの、混み具合だ、夏の土日は車を止める所が無くなるだろうな。

 夏の終わり、思い掛けずカミさんと手間で出掛けたが、良き休暇となった。留守を守る専務夫婦に感謝だ。


 



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