令和3年2月5・6日 #麒麟の地を訪ねて
我が家のカミさんは歴婆である。NHKの「麒麟が来る」も毎回見ているし、所用があり見られない時は録画撮りを指令される。またTVの歴史物が大好きで、千田先生・磯田先生が出演する番組は新聞の番組表をチェックして欠かさず見ている。勿論、タイミングが合わない場合は録画撮りの要請がある。そんなカミさんが、何時だったか忘れたが、岐阜城が出ている番組で「ここへ行ってみたい!」と言った。2月1日、長泉のガンセンターで定期診断を受け取り合えず異常無しを頂いた。そこで、こんなコロナ禍、不要不急県をまたいだ移動は控えるようにと云うお達しが出ている中ではあるが、定期診断異常無を祈念し自己責任で出掛ける事にした。
コースは1泊2日 5日 富士吉田→岐阜城→犬山城→ 名古屋泊
6日 徳川美術館→名古屋城→富士吉田
岐阜城
眼下に長良川を配し金華山の上にそそり立つ岐阜城は、私も以前から訪ねたかった地である。また犬山城も、天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」の一つであり、また天守が国宝指定された5城のうちの一つであり、コンクリート製ではなく江戸時代のものが今現存するところから観たくなったのだ。
車が岐阜市内へ入り、富士山麓の傾斜地にはない濃尾平野の360度広がる温暖で豊かな大地にコメが沢山収穫出来たり、海の幸、川の幸にも恵まれた豊かな土地である事が簡単に想像出来た。ナビに従い進んで行くと前方の山頂に天守閣が見えた、金華山の主 岐阜城だ、実に格好いい!!その圧倒する存在感は城下に住まう人々の誇りになっている事が容易に想像出来た。
ロープウエーで頂上に上がり、眺めの良いレストランで名古屋名物のミソカツを食したが、味は甘過ぎていまいちだった。食後の散歩は10分程の岐阜城天守閣へ、いざ! 天守閣は、地上からおよそ350メートル、とにかく眺めが良い。道三も信長も京へ行く迄もなく、この眺望を観て天下を取った気分に慕ったに違いない。
麓駅近くに岐阜歴史博物館があり、丁度NHKドラマ館の催し会場となっており「麒麟が来る」の役者が使っていた着物やセットが展示されており、カミさんは無邪気に元木道三と写真に納まっていた。
犬山城
国宝犬山城は織田信康(織田信長の叔父)の居城で天守は現存する日本最古の様式を誇っている。入口から入ると目の前に横たわる梁が印象的、手斧削りの凸凹が訪れた人々の手垢で磨かれ鈍い光を放っている。急峻な階段を登ると板敷の武者走りの広い廊下が目に飛び込んで来る。柱の陰から鎧兜を着た武者が飛び出して来そうだ。4階の望楼は眼下を流れる木曽川が一望出来て、回り縁からも交通の要所に城が建っている事が判る。欄干が低く、視界を遮るフェンスや格子の邪魔者が無いので気持ち良いのだが、安全性を考えると一考すべきかと思うが、国宝と言うので現状を変えるのもままならず、関係者の皆さんは悩める事と推察する。 天守が国宝指定された5城の犬山城、姫路城、松本城、彦根城、松江城、まだ行ってないのは彦根城だけとなった。
アパホテル
見学を終えて名古屋市内に入り、コンビニの駐車場で今夜の宿泊先をアパホテルに決めカーナビに電話番号入力でセットした16時30分頃の事である。このナビへの電話番号での入力セットが恐怖の始まりだった。車はホテル迄10分の距離だ、名古屋市内の道路は中央分離帯を備えた片道3車線の道路で広くて気持ち良いが、分離帯は一旦道を間違えるとU ターンが出来ないので迷惑な存在に変わる。広くて気持ちの良い3車線も車線を間違えるとえらい事になる。
それは真っ直ぐ走るべき所を、左折車線が空いていたので、ついつい左レーンに進入してしまい直進が出来なくなった。ナビが次の進路を示してくれる・・・などと、思っていたら高速入口が指示され目前に・・・ナビの指示に従いゴールのアパホテルに近づいている。ところがである、高速の高架の上で「目的地周辺です!」の案内がナビから流れる。「えツ!何!」降りられないジャン!取り合えず降り口を探し高速からの脱出を試みるが、その降り口が無い。ナビは目的は果たしたとばかりに無言を貫いて口を利かない。片側3車線の高速で、周囲はすでに暗くなり車はバンバン飛ばしている。そのうち景色が先程と一緒、そう高速環状線・2号線を1周回ってしまったのだ。さてさて困った、高速の迷路に紛れ込んでしまった。2周目も後半のランプで左降り口を見つけ、やっと高速からの脱出に成功、1時間近くが経過していた。道路沿いの空き地に車を止めホット一息、今度はアパホテルの住所で入力しホテルの前まで案内された。カーナビ入力は気を付けないと、地獄までご案内と云う危険も含んでいるのだ。
初めてアパホテルに止まったが安かった。ツインが6,000円+朝食代2,200円+駐車場代2,000円で泊まれた、一人約5,000円の計算だ。夕食は近所にある居酒屋へ立ち寄り済ませたが、結構混んでいて密、早々に退散した。
徳川美術館
6日、9時30分ホテルをチェックアウトした。美術館は10時オープンだから丁度良い時間だ。車で美術館を一周し地下駐車場へ車を止めた。徳川園は有料の公園になっており、歩道を流れる滝の音を聞きながら美術館に向かって散歩の如く歩いた。木々の葉を抜けて射し込んで来る光が暖かい。
徳川美術館は、その収蔵品の多さ価値等TVで見て、何時かは観たいと訪ねる機会を狙っていたのが現実となった。願えば叶う、いや、願って叶えるのが信条、自らが動いて実現させる事が肝心だ。やはり来て良かった、その収蔵品の素晴らしい事、特筆すべきは”内藤東甫”天明四年、歳饑ゆ。東甫画を描きて、米穀に替へ、之を飢民に施す。其時の詞書に曰く「愚老は画を以て雑穀に替へ、飢民に是を与ふ。全く愚老は筆を取迄にして、画を望み殻を出す人の救ひなり。「為飢民以画当粟。」此七字を印中に彫りて、永く其家に伝へて、此画有家は飢民を救ひたる家也と、子孫に其事を伝るしるしとしるべし。天明四辰春、東甫。」掃苔帳HPから 飢饉の時に、その書いた絵を売ってコメを買い求め、飢えた人々に施したと云う。その蔵書には細筆で人間模様が生き生きと書かれていたり、花鳥風月が写実的に書かれており素晴らしい技術を持った絵師に感動した。また、姫様達のお道具、貝合わせに書かれた絵も左右に書かれた絵が一致する技術は凄い。プリント技術の無い時代の話である。ひと通り見たら、あっと云う間に1時間半が過ぎていた。
美術館を出て徳川園に立ち寄った。こちらは中程にある龍仙湖を海に見立て、周囲に見どころを配する池泉回遊式庭園になっている大名庭園、牡丹の花が文字通り花を添えていた。場所が変われば花も変わる、名古屋は暖かいな、富士山麓では、まだまだ雪の華が舞いそうだというのに・・・。
日本料理店・大森(ひつまむし)
名古屋で楽しみにしていた”ひつまむし”を大森さんで頂いた。鰻が香ばしく良く焼かれており、そのまま食すよりもお茶漬けの方が旨かった。
特別史跡 名古屋城
名古屋城の天守閣は現在入城禁止となっており残念だったが、さすがは家康公、その規模は広大で立派としか言いようがない。現在、城天守閣から金の鯱が取り外し工事をしており、正門の脇では鯱のレプリカと一緒に写真が撮れるコーナーを設置していた。また、現在、水が張ってない空堀になっているので西南隅櫓を支える石組みが下まで良く見えて、クレーンの無い時代に巨石を自在に操り配置し傾斜を付けて、裾野を広げる様に美しいカーブの石組みが見事で凄い技術に舌を巻いた。城内の広場には3年前に完成したと云う本丸御殿を観る事が出来、その豪華絢爛な造りに驚いた。保存の利いた古い伽藍を観るのも良いが、ま新しい建造物は、入城した途端、まるでタイムトンネルを抜けた様に、一気に室町時代に誘ってくれる気がした。欄間の彫り物、梁飾り、襖絵、豪天井と、白い木肌の設えとマッチしてしており素晴らしいの一言に尽きる。こうした技術が500年の時を越え、今に残っている事を感謝すると共に日本人として誇りに思えた。さすがは名古屋、尾張名古屋は城で持つ!コロナ禍の中、気が引けたり強気になったり慌ただしい1泊旅行ではあったが、学び多く充実した良き旅となった。次は何処へ行こうかな!?
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