2017年9月28日木曜日

富士吉田市商工会議所観光サービス部会視察研修旅行

富士吉田市商工会議所観光サービス部会視察研修旅行 平成29年7月9日~10日

9日 7:00  商工会議所出発      バス

   11:30  山ケ根山         殉国七士廟お参り

  13:30  昼食         

  14:00  刈谷PA  
 
  16:00  師崎港           渡船           

  16:10  日間賀島          大海老 


10日 8:00  ホテル出発

    9:40 レゴランド・ジャパン研修
    
   13:20 名古屋高速~新東名~

   17:30 富士吉田市      

 毎年、恒例になっている観光サービス部会の先進地視察地は、4月の定例会で提案が通り
ルートの中に” 殉国七士廟 ”へ参拝する事になり
事務局提案で、翌日、4月にオープンしたレゴランドで社長の講演を聞ける事になった。
      
 新しくなった駒門SA

 7時集合出発、13名の会員を乗せサロンバスは出発した。このサロンバスが問題だ、バスの後方座席が
テーブルを挟んで向かい合わせになり、丁度、研修は明日なので出発と同時に宴会が始まった。宴会が始まると
トイレも近くなる最初の休憩ポイントは出来たばかりの駒門SAだ、国道246号からも入れるし、道の駅の
機能もなしている。駐車場の向こうに御山も見えた。 

    
    

殉国七士廟(じゅんこくななしびょう)は、愛知県西尾市東幡豆町の三ヶ根山頂きにある廟で
大東亜戦争開戦時に日本国の指導的立場にあった人たちです。日本の敗戦により「A級戦犯」の
名のもとに裁かれ、遂には絞首刑を宣告、執行され亡くなりました。殉国七士とは以下の方々です。

東條英機氏 (元首相・陸軍大将)
土肥原賢二氏(元陸軍大将)
広田弘毅氏 (元首相)
板垣征四郎氏(元陸軍大将)
木村兵太郎氏(元陸軍大将)
松井石根氏 (元陸軍大将)
武藤 章氏 (元陸軍中将)

 東京裁判弁護団のスポークスマンを務め、殉国七士之墓の建墓委員長だった林逸郎氏はこう述べています。

「その表面には、あえて殉国の二字を用いた。その理由は、あの悲惨な敗北に終わった戦争の本質を解明
したいからだ。あの戦争は、日本が、不当な侵略戦争を不意にしかけたものではなく、アメリカを主軸とする
各対戦国が、多年にわたって、日本に圧迫を加えてきた結果、その圧迫に耐えかねてやむなく防衛のために
立ちあがったものである。
 日本だけが勝手に起こした侵略戦争であるかの如き逆宣伝したのを信じている内外人の目を開き、戦争の
起こったほんとうの原因を究明して、永久平和の確立のために少しでも寄与したいからである。」

「理論も、証拠も一切無視して、ただただ、日本だけを悪いものにしようと努力したのが東京裁判であった。
一種のまやかし裁判であるが、敗戦便乗主義によって、各方面が指導されていた日本人が、まんまとこの
トリックに引っかかってしまったのである。このような裁判にかかり、戦争犯罪者と名づけられて、死刑の
宣告をうけ、巣鴨や東亜の各地で散って逝った人々をふくめて、これが戦争の犠牲者でなくてなんであろうか、
と強く主張したいのである。あえて『殉国七士之墓』と銘記せずにはいられなかったゆえんである」

 東京裁判は、大東亜戦争の戦争責任を追及する裁判として、アメリカ・中国・イギリス・ソ連・オースト
ラリア・カナダ・フランス・ニュージーランド・インド・フィリピンの11カ国が判事を出して行なわれた
裁判でした。起訴は昭和21(1946)年4月29日に行なわれました。4月29日といえば、昭和天皇の誕生日
です。それだけみても意図的な報復裁判であることがあきらかです。さらにいうと、27億円の裁判費用は、
日本政府が全額供出させられています。当時の日本が、終戦直後で、全土が焼け野原、世界の最貧国同然
だったにもかかわらず、です。東京裁判は、昭和23(1948)年11月4日に、判決の言渡が始まり、11月
12日に判決言渡が終了しました。

 判決は、法治社会にあってはならない事後法(事件のあとで作られた法、法律には不遡及の原則があり、
法のできる前の事件は裁けないのが原則)に基づく一方的なものでした。

 東京裁判そのものの欺瞞性や経過の不透明性は、多くの人が述べているとおりです。
審議においても、弁護側が提出した証拠資料はほとんどが却下されましたが、検察側の証拠は、たとえ伝聞で
あろうと採用されました。さらに、当時の日本の言論機関は完全に占領軍の支配下にあり、法廷の真実が世間に
伝わることはありませんでした。そのような状況のなかで、日本側弁護団は切歯扼腕しつつも可能な限りの
反論を行いました。しかし、この裁判の結論は最初から決まっているものでした。東京裁判は「勝者の裁き」
「復讐のための裁判」に過ぎないものだったのです。(ねずさんのブログから)

 東京裁判弁護団の副団長で、東條元首相の弁護人でもあった清瀬一郎氏は、こう述べています。

「われわれ東京裁判に関係した者は、東京裁判の正確なる事実と、透徹した批判を、後世に伝える重大責任を
負担しておるのであります。なぜかというに、この裁判最中に毎日、流されていった法廷記事なるものは、
半分ほどは嘘でありました。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだ、日本軍人は残虐行為
ばかりをしておったのだと、日本国内は無論のこと、世界のすみずみまでにゆきわたらしめんとしました。
しかもわが方としてはこれに対抗する手段が封ぜられておりました。

 死刑の執行は、判決の翌月である昭和23(1948)年12月23日です。この日は、当時皇太子殿下で
あられた今上陛下のお誕生日です。ここにも意図的な報復を感じます。裁判の開廷の日、刑の執行日に、
我が国のもっとも大切な陛下のお誕生日をそれぞれ宛てる。この裁判が、いかに異常な報復行動で
あったかを象徴しています。

  昭和天皇の墓参り
昭和54年5月26日、豊田市藤岡で行われた植樹祭に昭和天皇がご出席になり、その際
近くに沢山宿があるのに、態々、山ケ根山グリーンホテルにお宿を取られました。
 グリーンホテルからはお墓が一望のもとに見る事が出来ます。翌日の早朝6時、陛下のご案内係りが
お部屋にお邪魔すると、廊下の窓際で、お墓に向かって直立不動のお姿で、立っておられる陛下を発見
その凛とした雰囲気にお声を掛けられず15分、その前からの時間を考えると・・・。
 翌年、11月8日、美智子妃殿下・礼宮様も同じ行動をされています。
  上記は若狭和明氏と東条英機氏孫由布子氏の会談から。



 



 16時、師崎港から瀬渡し船10分程乗ると日間賀島だ、周囲6キロの小さな島でタコとフグが
名物になっており、宴会料理に茹でダコが丸のまま出て来て驚いた。それをハサミで切って食べるのだが
食感が良くシコシコしており美味しかった。歯も健康でなければ、このタコを味わえない。
 特筆すべきは、この会としては初めてコンパさんを3人宴会に入れた。するとどうだ、日間賀の夜は
大いに盛り上がり、アッ!と言う間に2時間は過ぎてしまうのだった。やっぱり女性の力は偉大です。





 人気のサブマリン・アドベンチャー


 8時集合出発、日間賀島を後にレゴランドへ向かう。名古屋市金城埠頭エリアにあり赤白黄色青の
レゴカラーのタワーが目に飛び込んで来た。レゴランド社長、デンマーク人のトーベン・イェンセン社長が
お忙しい中、お話をしてくれました。英語で講演されるかと思い心配したら、母親が日本人とのことで
普通に日本語で話して頂き、安堵しました。

 レゴランドのコンセプトは2歳から12歳の子供さんと、その家族が1日タップリ楽しめる野外型の
テーマパークだ。すべての家族一人ひとりが最高の思い出を残すために・・・。子供たちがヒーロー
きみの「ワオ!」と「最高!」が待っている。

 このレゴランドは世界で8番目の施設で25年前に発想、金城駅に近く定住人口200万おり
駐車場も5000台OK、現在、250名宿泊出来るホテルを建設中で2018年にオープン予定だ。
ホテル客のターゲットは家族、2~4人が来るから1室あたりの客単価が上がる、激しく同感である。

 7つのエリア、40以上の乗り物、ショーやアトラクションを備えたレゴランドはコンセプトが
しっかりとしているので集客は問題ないだろう。噂で高いと言われるチケットだがUSJは大7600円
小5100円、デイズニー大7400円小4800円、レゴランド大6900円小5300円となっており
妥当なところだと思うが、親子4人で遊びに来れば、遊園地に払う金額は簡単に3万円を超えてしまう。
子育てが終わったから良いが、今時の親は、何事にもお金が掛かって大変だ。

 駿河湾SA

 初めて7月に行った視察研修、この時期、暑さが気になったが雲に救われ助かった。研修が終わり
また後ろの席では宴会が始まった、ほんと皆、酒が好きで強い。サービス部会の旅行に参加して数は
15回位だろうか!?今までで一番に盛り上がった研修旅行、良き思い出と親睦になった事は間違い
ないところだ。次回から研修は翌日の午前中にしよう。多分、来年は福島行となるだろう!!
 早くも楽しみだ。

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