上吉田民生児童委員親睦(お別れ)旅行 平成28年6月6~7日
6月6日
7:00 富士山駅 集合出発
中央道 → 圏央道 → 関越道 → 北陸道 → 日本海東北道 → 新潟亀田IC
12:30 須坂屋そば → 北方文化博物館 → 月岡温泉・華鳳
6月7日
9:00 ホテル発 → 市島酒造 → 巻潟東IC → 寺泊 → 三条燕IC →
圏央鶴ヶ島IC → 和食・麺処サガミ → 河口湖IC → 富士山駅
富士吉田市上吉田地区民生児童委員 親睦(お別れ)旅行
今年一杯で任期が3年を迎え、3年に1回親睦旅行としてお別れ旅行をしている。上吉田地区には
27人の民生児童委員がおり、今回の旅行には24名が参加し、新潟県月岡温泉へ1泊2日で出掛けた。
河口湖ICから圏央道へ、関越道を使って新潟まで5時間、所々のパーキングに立ち寄るが、かなりの
乗車時間で疲れた。新潟駅近くの須坂屋蕎麦で昼食、ギと呼ばれる板の器に並べられた蕎麦が、香りが
立って美味しかった。イクラが入った冷製のノッペ汁も具沢山で、また美味しかった。
”北方文化博物館 ”
その後、北方文化博物館・豪農伊藤家住居を見学、その規模と大きさに驚いた。8800坪に建坪1200坪の
邸宅は、まるで京都にあるお寺の伽藍のようだ。遥か彼方の山裾まで広がる越後平野に広大な田んぼの
群れを見て新潟の豊かさと力強さを感じた。我が富士吉田市は富士山麓に広がる傾斜地で標高が高い寒冷地
温暖な新潟と比べ、この違いは大きい。
三楽亭と呼ばれる三角形をしたお茶室が珍らしく、回遊式の庭園も見事だ。
”ホテル華鳳”
16時にはホテル華鳳へチェックインした。部屋は2階の角部屋ジャグジー付きで超豪華、多分、同行した
仲間の中にホテル鐘山苑会長の奥様がいらしたし、旅行社は鐘山交通を使ったので、宿の女将さんが気を
使って下さったものと推測した。
”市島酒造”
会社所在地近くにある諏訪神社に因んだ『諏訪盛』という銘柄であったが、昭和初期にドイツ留学から
帰った四代目・市島長松の発案により、現在の『王紋』に変更された。昨日訪ねた豪農・伊東家の当主も
アメリカ留学していた。西洋で学び、体感し、いち早く時代の先取りをした両家の当主に先見性を学んだ。
土産にスッキリした飲み口の王紋大吟醸3本を買った。
”寺泊”
二度目の寺泊だったので要領を得ている、1時間の買い物タイムが与えられた。店は大体同じだ、2軒目の
店に飛び込み発泡スチロールの大箱を用意してカニ・明太子・イカの塩辛を詰め込みバスに箱を持込んだ
ところで30分経過。後の時間でウインドーショッピングならぬ店内お通りウオッチングだ。魚好きの者には
堪らない店頭での焼き物の数々、この後昼食でなかったら食べたいものばかり、鮎も良いし、ノドグロ、サバ
我慢して岩ガキを1ケだけ頂いた。何も食事処で食べなくても、ここで放り出してくれれば・・・と思ったのは
私だけであろうか。
”食事処 庄屋”
沖合に佐渡ヶ島を望む”食事処 庄屋”で昼食を摂ったが、出されたカニに一同「シーン!」として
指をベトベトにして悪戦苦闘の光景が面白かった。
昨日の夕方、実家の近くのA子さんがホテル内のコンクリートで足が滑り腰と頭を打った。14番目の
脊椎を骨折しコルセットをして帰って来たが、一晩寝て一緒にバスで帰れるか心配だった。A子さんは
実家の近所で幼馴染み、もし一緒にバスで帰れないようだったらレンタカーのワゴンを借りて、そこに
寝かし、皆と別行動で帰る事も思った。朝、A子さんに声を掛けると、何とかバスで帰れそうで良かった。
宿の女将さんが心配して、腰に当てる毛布や杖まで用意して下さり、同じ宿を営むものとしても頭が下がる
思いだった。
旅の一番大事な事は無事に帰って来る事。無事に帰って来れば、その旅は大成功!思い出は後から
付いて来る。A子さんにとっては辛い旅になったかも知れないが、幹事の一人としては、この程度で済んで
良かったと思う。また、次回へ旅を紡ぐ事が出来る。
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