2010年7月16日金曜日

姪の結婚式で北海道旅行へ

 平成22年7月9~11日

       

 姪の結婚式参列で北海道トマムへ来た。
水の教会と呼ばれる会場で挙式は行われ、神父さんが祈りを始めた。目を瞑り、静かに流れるオルガンの音をバックに神父さんの声が響く。その時、足元を涼やかな風が入って来る、と同時に鳥達の鳴き声が段々と大きくなって来た、上手に鳥達の声をシンクロさせてるなと思った。

 神父さんの祈りが終わり目を開けると、さっきまで曇っていた空が割れ陽が射し込んでいる。いつの間にか、前にあったガラスの格子壁が開き水に浮かんだ十字架が目の前に近づいて見える。鳥たちの歌声は本物だった。自然を上手に使った演出に驚かされ感動し、二人がこの教会を選んだ理由が解かる気がした。新郎新婦は、さぞかし思い出に残る結婚式になった事だろう。

  ミキちゃんサトル君、ご結婚おめでとう♪♪ 良い挙式だったヨ。

             北海道・トマムリゾートにて

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 上記、写真と文章は、9日夜と10日の早朝に、持って行ったパソコンでHPにアップした。それを知った妹は、早速、知り合いの所に電話して「パインツリーのHPに写真が載ってるから見て!」だって・・・そうだ、こんな使い方もあったのだ。ユーストリームを使えば実況まで出来る時代、恐るべしパソコン、有難やインターネット。


 ---- 北海道旅行記 ----


  十勝帯広空港

 十勝帯広空港に初めて降りた。十勝平野の農地の真ん中にポツンとあり、のんびりと長閑な
感じのする空港だ。空港ロビーには、 ばんえい競馬の馬 のモニュメントが飾ってあり、その
体型や蹄鉄の大きさに驚いた。予約して置いたトヨタレンタカーにてハイエースを借り
縁者9人が乗り込み帯広の街を走り出した。


  花畑牧場

 まずは、生キャラメルで有名な花畑牧場に向かったが、カーナビの調子が変で、通行止めの道路へ案内された。それでも何とか近くまで行き、ナビの指示通りGマークへ向かって左折すると目的地周辺の案内が流れるが進行方向は広大な畑が広がり建物は見えない。車中の皆があれじゃない?!先程真っ直ぐ来た道の先100メートルに綺麗な建物が見える。Uターンして進むと看板が見えて来た花畑牧場である。このカーナビは信用ならん!ナビ付きのレンタカーを使った旅で、こんな経験は初めてだ。

 広大な土地に花畑農場はあった。チーズ工房・生キャラメル工場・ショップ・食事処を備えお花畑や牧場もあった。街興しに貢献する田中義剛氏の健闘を祈らずにはいられない、是非頑張って貰いたいものだが、旅行中アチコチで花畑牧場の名前を見て、短期間で事業拡大し過ぎた感があるのが気になるところだ。
  

  十勝名物豚丼”はなとかち”

 次は、雑誌に載っていた豚丼を食べねばと、十勝名物豚丼”はなとかち”を目指した。Gマークは帯広駅の左側にあり、その場所に到着すると、ナビは「目的地周辺です!」と、いつもは嬉しいはずの声が、どこか空々しく車内に響く。何処だ!無いじゃん!ナビに電話番号入力すれば問題なく近くに連れて来て貰えるのだが無い・無い、店がない。 店に電話を入れ、人間電話案内で誘導して貰い、何とか豚丼にありついた。半バラ豚丼を食したが、どんぶりの上に炒めた豚肉で円を描き、真ん中にバラ肉を載せたものが半バラ豚丼で、ウナギのタレに似た焼きタレが特徴だろう。時計は13時を回ったいる、がっついて食べた。 
  




   トマムリゾート                                         
       
 以前からトマムは、個人的にも訪ねてみたい場所だった。
と云うのは「雲海テラス」に興味があったからだ。5年程前「星野リゾート」が、この施設を買い取り営業を始め、夏の営業の集客にと云う事でゴンドラの終点駅に雲海テラスと名付け営業を始めたところ大当たりし、一夏何万人もの客が訪ねるようになったのだと聞き、興味を持っていたのだ。残念な事に
今回は雨でゴンドラが運行せず、行く事が出来なかったのが心残りだ。
         雲海テラス      山中湖




 富士山に向かい写真を撮るようになって気が付いたのだが、富士五湖も標高が高く寒暖の差が激しいので
雲海が湧き易い、特に忍野村・山中湖は多い。当地でも、似たものが出来るのではと考えた。ただの雲海
だけでは無い。湖水の北側斜面から望めば雲海だけではなく、その向こうに側には日本一の富士山が
鎮座しているロケーションがあり、日本一の御山を望むテラスが出来るはずだ・・・。
 
 - 10日 -


 中田農園

 9時、ミキちゃんサトル君に送られトマムタワーを後にした。道東道から273号線へ入り北上し、富良野→美瑛→旭川→層雲峡へと向かう。富良野市山部の国道沿いにあった中田農園へ立ち寄り休憩、メロン・モロコシを食べた。美味しかったので、土産用にメロン五個詰めを買い求め送って貰った。2頭のポニーがばんえい競馬の馬の大きさと比べ、小さくて可愛かった。
    

 富田ファーム                                   

 7年前に旅行した時、富良野を走っているのだが、すっかり忘れていた。土曜日と云う事もあり富田ファームの駐車場は満車状態だった。丁度運良く、係りが満車の看板を
外したので車を滑り込ませた。ファーム内にはラベンダーが咲き誇っている、花は殆ど一緒だが河口湖のものより色が濃い気がした。途中、美瑛・色彩の丘に立ち寄った。
   

 旭川・ラーメン村

昼はご当地ものをと云う事で旭川ラーメンに決まりナビに電話番号をセットしたが端から、もうナビは信用しなくなっていた。13時を過ぎた頃周辺に到着、付近を捜したらラーメン村まで100メートル以内で一番近かった。> 13時を回り昼飯時を過ぎているのに満車状態だ、店前に行列の出来ている店まであったが「一蔵」へ全員が入れた。ネギラーメンの味噌を注文、どんぶり一杯のネギの下から麺を掘り出し食べたが、スープと麺の相性も良く美味しかった。 富士吉田はうどんの街「吉田のうどん村」なんて、出来ないものだろうか!?分かり易い場所・広い駐車場に集合店舗、お客様には喜んで貰えると想うのだが・・・。


 道の駅・とうま

 旭川を走り、道の駅・とうま で休憩した。ホント!おばちゃんは良く買い物をする(妹達だが)トイレに寄り、帰りは必ずと言って良いほど手元に何か土産を持って車に乗り込んで来る。とうまは、でんすけスイカの名産地だそうだが黒光するスイカは、甘く味が濃くて美味しいのだそうだ。金額は高く普通のスイカの倍以上した。 残念な事に食べなかった。珍しいものは食べ、何でも挑戦する心情を持つ身としては心を残した。



 アイスパビリオン                                   クリオネ 

 川上町の北の森ガーデン・アイスパビリオンに立ち寄った。
建物全体が冷凍庫といった施設で手袋と防寒着を借りて中に入る。中にはマイナス40℃の体験や水蒸気が凍って出来るダイヤモンドダストなども見られ、コチラを通る際には是非立ち寄り体験して貰いたい楽しい施設だ。この夏が終われば、山中湖の自然の中、カメラも凍るマイナス15~17℃の世界が待っている。鬱陶しい梅雨のせいだろうか?御山に逢えないストレスからなのだろうか?マイナス温度の冷凍建物に入り、フラッシユバックのように厳冬の山中湖畔へと導かれてしまった。 予定から1時間遅れた16時、層雲峡観光ホテルに到着した。


 層雲峡

 ホテルは朝晩バイキングだった。驚いたのはバイキングに出掛けた時だった、広いホールの8割以上が中国人?で占められていた。玄関へ行き、中国人専用ホテルの看板が掲げられていないか見たくなった程だ。ハングルは聞こえない、話には聞いていた中国人パワーを肌で感じた。今、中国の方は、こうして団体旅行を楽しんでいるが、やがて成熟し個人旅行へと変化して行くのは、過って日本で農協旅行が個人旅行へと変化をして行ったように、歴史が証明している。60の手習い、ボツボツ広東語を勉強しないと ネ!  お客様に来て頂ける施設にするには、まずは会話から、バイリンガルの必要性を感じる層雲峡の夜だった。花嫁の父と、ゆっくりバーで互いの娘を語り、飲みたいと思っていたが、部屋に戻り引いてある布団の誘惑に負け、寝てしまった。 
 
   - 11日 -


 273号線ルート            大雪山   

 ホテルの従業員に送られホテルを後にした。国道273号線、大雪湖から糖平湖を走り帯広へと南下するルートだ。銀河の滝・流星の滝へ立ち寄る予定だったが、長い大雪トンネルへ入ってしまい、そのままパスしてしまった。このパスが後々で利いて来るのだ・・・大函(オーバコ)の石柱壁を見学して車は南下した。

 ガソリンのゲージが半分以下に減っているが気にする事もなく、展望台では止まり景色を楽しみつつ車を走らせた。三国山を越えた辺りからガソリン計を気にするようになり、下りはニュートラル走行でエンジンを1000回転に押さえ、省エネ運転に心がけた。いよいよランプが点灯し、目盛りが1つになった。糖平湖を超えたあたりで道路公団の黄色い車を発見次のスタンドまでの距離を尋ねると、連れに聞き「34キロだっぺ!」さてさて困った、ガスが持つだろうか? 幸いな事に道路は殆ど下りだった、省エネ運転を繰り返し周りの景色は目に入っていない、進行方向とゲージだけを見つめる、何ともスリリングなドライブになってしまった。

 北海道はでっかいど~!ガソリンスタンドもないど~!悔し紛れに、心の中で叫んだ!

 山から下りて平野になり、牧場が見えた時は嬉しかった、ガソリンゲージは0を示している。上士幌町の町が見えて来た、ガソリンスタンドは何処に!あったー!エネオスの看板から後光が発して見える気がした。ガソリンは58リッター給油、ほっとした。運転手がこんな気分でいたる事を知ってか?知らずか?関係なく、おばちゃんは、何に使うか分らぬ竹ザルを買っていた。

 「備えよ常に!」北海道を走る方は、どうぞ、ガソリンは満タンを心掛けるべし!
 層雲峡から上士幌町まで110キロ間にガソリンスタンドは、ありまシェ~~~ン!

  
 帯広市内・食事処ときわ

 道内最後の昼食は海鮮で・・・と云う訳で、ネットで「ときわ」を探し出し、ナビにセットし向かった。案の定と云うか、やっぱりと云うべきか、最後の最後は1,5キロ離れた場所に案内された。またもや店に電話し案内して貰った。海鮮は夜メニューで、一般的なランチでの食事会になってしまったが、ガソリン事件を考えれば最高の食卓だ。その後、車をレンタカーに返却し
空港まで送って貰い、予定通り19時に帰還した。 翌日、予約した地元トヨタレンタカーにナビの件を進言、改善して貰えるよう話した事は云うまでもない。 色々あっった。大きいアクシデントは不要だが、旅は小さいアクシデントがあった方が楽しいし想い出に残る。そして、何より全員が予定通り無事に帰れる事が、旅を最高の旅にしてくれる。

 今回は結婚式参列旅行だったが、さてさて次は何処へ行こうかな・・っと。 

2010年7月15日木曜日

第24回 富士吉田市商工会議所観光サービス部会

  先進地視察研修旅行

長野県小布施町 平成22年6月23日~24日
 =23日=


  道の駅”オアシスおぶせ”定刻の8時、一行14名を乗せたバスは会議所を出発、向かうは長野県小布施町だ。中央道御坂ICから中央道に乗り北上、長野自動車道を通り上信越自動車道小布施スマートインターで降りるルート。小淵沢パーキングエリアで一度休憩をとり、11時45分に小布施町に着いた。スマートインターには駐車が併設され、道の駅”オアシスおぶせ”にて昼食をとった。名物の栗おこわが美味しかった。この道の駅は噴水広場・遊具広場・芝生広場野外ステージ・全天候テニスコート・陸上専用で表面は全天候型のフルウレタンコース・マレットゴルフ場・ドッグラン広場、そしてミュージアムまで併設しており、緑溢れるこの場所は町民の憩いの場所になっている事が伺い知れた。 我が富士吉田市にも”道の駅”があり、○(富士山アリーナ・富士山ビール・レーダードーム館)
◎(郷土博物館・鐘山の滝・散策公園)まであるが、◎に付いては動線が悪く生かしきれていないのが現状だ。 


 小布施町役場

役場に早く到着してしまい、市村町長を20分程待った。役場は図書館も併設されていた。スペースがあれば、こうした考え方は有効だと思う。子供から老人まで遊びに来れる役所、お固いイメージを払拭するには必要だろう。市村町長現る。挨拶もソコソコに、町長は1時間半に渡り、小布施町に対する思いを静かではあるが熱い語りで話してくれた。高山鴻山を初めとする先祖に先見の明があった事。街の周囲に農地があり明治時代後半丹波笹山から栗を導入し、栗がこの地に合った事。葛飾北斎を招聘し、沢山の自書が残っていた事、小布施は5x4キロの小さい町だった事。30年以上前から街並み修景事業に取り組み成功した事。また、近年ではヨーロッパへガーデニング研修旅行を10年に渡り実施し、凡そ200人以上参加して、今では110軒の一般家庭でオープンガーデンを創り、観光客と交流をしている。一番学んだ事は、行政と住民が協働、すなわちパートナーシップを結び、共にまちづくりに取り組んで来た事だ。行政の姿勢が頼もしく感じるし、小布施町の民度の高さを
感じた。アッチ派・コッチ派で60年、たえず片肺行政で来た富士吉田市に未来はあるだろうか・・・。 


 北斎館                  落ち着いた雰囲気を醸す街並み

次に場所を北斎館に移し、館長でもある前町長唐沢氏のお話を聞いた。平成元年に町長に就任以来卓越したリーダーシップで職員・町民をリードし、観光客ゼロの街から、年間120万人が訪れる街にした方だ。官と民がアイデアを出し合い一体となり整備を進めた修景事業、北斎館を中心に12の文化施設を含めた町全体を美術館にした構想を具現化し「外はみんなのもの、内は自分のもの」をテーマに、街づくりを進めて来た。 住民の自由な発想を支援しサポートする事が行政の役割と考え「汗出せ、すぐ出せ、知恵を出せ」をキーワードに、成果が上がったら住民たちの成果だと感じる仕掛けを作り出した事が大変素晴らしかった。 町づくりは地域の活力であり、住民の参加と行動の連続、ふるさとは自分たちで作り守って行き、住民の絆でつくり上げられて行く。ふるさとを大切にする心を養う「小布施教育」をより尊重して来た事が、今日の小布施の繁栄に繋がっている。  3年振りの小布施。電線も無く整然とした街並み、路面から看板、店のしつらい隅々まで気配りがいきとどいた街、1軒1軒店を街を、ゆっくりと訪ねたかったが時間が押し街を散策する時間が無かった事が悔やまれた。また機会を見つけ出掛ける事にしよう。

 やっぱり、良い街には良きリーダーがいた。


 渋温泉                                        外湯巡り一番初湯 古久家   

  予定より30分遅れた18時、渋温泉駐車場に到着した。横湯川の脇で山裾に長く伸びた湯治場の雰囲気を醸し、狭い道路を挟んだ建物から湯気が立ち昇っていた。中には木造3階建て宮造りの金具屋があり「千と千尋の神隠し」のモデルになったと看板が立っていた。我々は、その前にある古久屋へ泊まった。勿論!お湯は源泉掛け流しの本物だ、迷路のような通路1階には、湧き出した源泉を見る事が出来る窓がはめ込まれ、ライトUPされた足下を、滾々とお湯が岩肌を流れていた。鍵の付いた板プレートを持って外湯めぐりも楽しめたり、駐車場の脇にある公園では蛍の乱舞も見られたという、折角、近くまで散歩しに行ったのに手前で帰って来たのが悔やまれた。

   =24日=
   

  松代町象山 大本営跡  

  9時、渋温泉を後にし松代町の大本営地下壕へ向かった。終戦間近に、皇居を移す事を本気に考えた大本営は岩盤が固いのを選考基準として、この地を選び、朝鮮人7000~8000人を拉致しトンネル工事に当らせ、ほぼ完成させたものだ。拉致は北朝鮮だけのものではなく、戦時中日本もやっていたのだ。 第二次世界大戦末期、ソ連軍に拿捕されシベリヤの強制収容所へ送られた日本人は60万人ともいわれている。1945年から1956年にかけて、抑留者47万人の日本への帰国事業が行われたが1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連内での日本人捕虜の死亡者は6万といわれている。父親も抑留者で1949年に帰国した。> ドイツ人拿捕者も終戦時、約三百五十万人、うち百十万人がソ連内で死亡した。辞書を調べると拉致は無理やりに連れて行く事とあり、抑留は一定の場所にとどめて置く事とある拿捕し抑留も、拉致し抑留も、人間を捕まえ自由を奪い、強制労働する事に変わりない。戦時の
狂気と言ってしまえばそれまでだが、有史以来世界のどこかで今も続く戦争、人間とは何とおぞましい生き物であろうか。
               

 山寺常山邸

  駐車場へバスを止め、大本営跡まで新しく舗装された道路を歩いたが、路面は平らで色付けられた歩道が歩き易かった。道路脇には歴史的建造物として復元された山寺常山邸があり松代の武家屋敷庭園の特徴を基調とし、散策や学習ができる庭園として整備されていた。 


 旧樋口家住宅

 その後、真田家の宝物館へ立ち寄ったが、タイミングが悪く燻蒸作業中でお休み、入館出来なかった。裏の庭園を見たり、文武学校を見学した。松代は真田氏と佐久間象山が有名だ。真田氏は智略を尽くし戦国時代を駆け、象山は幕末を精一杯生きた松代の英雄だ。
そんな思いを残す文武学校が今も使われており、丁度、居合いの稽古を終え帰路につく2人の老士と行き会ったが、眼光鋭い一閃が印象に残った。


 松代藩 文武学校


 信州そば蔵長野店



 曹洞宗 安楽寺

信州の鎌倉と呼ばれる安楽寺・北向観音へ向かった。梅雨の晴れ間を狙うような暑い日差しの中、額に汗して坂道を登った。まずは安楽寺へ杉木立の中に入ると、ヒンヤリとした風が心地良く後退したおでこを流れて行く。緑に包まれ奥へ行くに従い静寂な時が流れる、良い感じのお寺様だ。 国宝八角三重塔の様式は珍しく、日本の古来からある塔とは見た目も違っておりインドのスツーパを起源としているのだそうだ。屋根も瓦葺ではなく桧の皮を使っているものと思われ苔生した感じが、周囲の景観とマッチして落ち着いた雰囲気を醸していた。

  
 北向観音

  次に、北向観音へ向かった。本尊は千手観音菩薩。御堂が北に向いていることから通称北向観音と呼ばれる。御本堂が北に向いてるのは、観音様の「北斗星が世界の、よりどころとなるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものだそうです。善光寺と向き合っているので、「裏善光寺」とも呼ばれ、南向の長野の善光寺に詣り「未来往生来世の利益」を 願い、北向観音に詣り「現世の利益」を祈願します。「片方だけでは片詣り」になるとされています。(HPから) お寺の右手には巨大な桂の木があり、川口松太郎の名作”愛染カツラ”を生み出すヒントになったとも云われている。その右手の崖には温泉薬師信仰から薬師如来を祀る瑠璃殿があり崖に寄り添い下から上に伸びた支柱柱が印象的で、何ゆえ伽藍を高い場所に置くのか疑問を残した。 鄙びた温泉街だが湯質が違い、湯量豊富な源泉を持つ渋温泉や、信州の鎌倉と呼ばれる安楽寺周辺、いち早くまちづくりのウエーブを起こし大成功した小布施町、長野県は山また山の広大な県で中山間地域も多いが、その懐も深く、奥行きの深かさ、また豊かさを感じずにはいられなかった。 東京から90分、富士山・富士五湖もありロケーションもアクセスも恵まれた富士吉田市だが街は泣いている。街は人が集まるから街になる、虫歯のようにシャッターを下ろし、点々と欠けた商店街。人が集まる仕掛けを創らなければ・・・仕事を創り喜んで働ける場所がなければ・・・懐が豊かでないと笑顔が生まれない。その為には何をすれば良いか・・・悩みは尽きない。