2025年11月18日火曜日

#令和7年伊勢神宮新穀感謝祭

 山梨県神社庁南都留支部 令和7年伊勢神宮新穀感謝祭
                11月13・14日 
 
 
 
 11月13・14日 山梨県神社庁南都留支部 令和7年伊勢神宮新穀感謝祭へ
バス7台を連ねて行って来た。
 新倉浅間神社と御室浅間神社の氏子を中心に集まり、私達の乗るバスは49人乗りに
46名プラスお酒・ビール等満載で、空席無しで出掛けた。
 東富士に乗ると早速宴会が始まる。神社の旅行の特筆すべき所は「顔洗い」と
称するご神酒での「乾杯」だ。旅の安全と今年もお伊勢さんに行ける事を神さんに
感謝しての「顔洗い」で、一気に酒の瓶は空き、ガイドさんはSAで恥ずかしそうに、
3本の空き瓶を抱え捨てに行くのでした。 

 5時半、出発。6時20分、駿河湾沼津SAでバス7台が、それぞれの地区から集合
南都留支部長がバスに乗り込み挨拶を済ませ、総勢250人は出発した。

外宮  

 12時、神宮会館で新穀感謝祭弁当を頂き、バスに乗り込み、外宮へと向かった。
外宮到着、通路を歩く時、外宮では左側を歩くのが作法になっている事を、恥ずかし
ながら、初めて知った。何回もお伊勢さんには来ているが、その度、人並みに
流されていた事を反省した。流れに逆らうのではなく、人の流れの中をしっかり
意思を持って歩く、そんな気付きを頂いた。玉砂利を踏みしめ歩いて行き、鳥居を
くぐる度、何とも言えない清浄な空気感に包まれ、体が浄化されて行く気がする。
豊受大神宮御垣内参拝では二拝二拍手一拝の作法で「感謝の心」「おかげ様の
心」を捧げてお参りさせて頂いたが、御垣内での二拍手が御神前に反射したのか綺麗に
響き、清々しい気分になった。

 次にバスに乗車し内宮へ行った。宇治橋を右側通行で渡る。宇治橋の西詰北側
二本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)
神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められており、この擬宝珠(ぎぼし)に触れて
帰ると、また参拝に訪れる事が出来ると言われており、勿論、私もしっかりと
撫でさせて頂いた。

内宮 おはらい町 戸田屋

 内宮 皇大神宮御垣内参拝を終え、神楽殿にてお神楽の奉納をさせて頂いた。
大々神楽(だいだいかぐら)の「神楽」とは、神遊びともいって、わが国の
古から神事に用いられてきた歌舞だ。神宮では、大御神の広大な御神徳に
感謝をささげるために神楽を奏し、皇室の弥栄、国家の平安、家内安全、
心願成就などの御祈祷を行っており、時を忘れ雅な世界に浸かった。

 江戸時代、国民の6人に1人が神宮にお参りしたという「お蔭参り」。『伊勢
音頭』には「伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも」とある。
このお蔭参りで人々の一番の憧れは、伊勢で「大々神楽」を奉納する事であった。
お蔭様で、今年も正式参拝が出来、お神楽も奉納させて頂く事が出来た、感謝
しかない。

名古屋ビール園

 15時半、フリータイムが出来たので、おはらい町・おかげ横丁を散策、
なじみの出店へ入店し、空けて置いた胃袋へハイボール・サザエ・大アサリ・
カキを流し込み、全身でおかげ横丁を満喫させて頂いた。

うなぎパイファクトリー 

 社殿や神宝などを一新して、御神体を新しい社殿へ移す神事、式年遷宮の制度は
第40代天武てんむ天皇のご宿願により始まり、次の持統じとう天皇4年(690)
に第1回が行われた。一時の中断はあったものの、これまで20年に一度、
1300年にわたり繰り返し行われ、令和7年(2025年)5月、63回目の
式年遷宮が始まり、お祭りは令和16年(2034年)まで延々と続く。遥かなる
飛鳥時代より続く無双の神事で、世界に例をみない誇れる神事であり、日本人に
生まれて良かったと誇らしく胸を張って帰って来た。

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