2024年6月8日土曜日

#大人の修学旅行in鹿屋

大人の修学旅行in鹿屋(鹿児島県鹿屋航空基地)を訪ねる旅

 令和6年5月24~26日 午前3時40分出発 気温16℃ 

先ずは鹿屋航空自衛隊基地の見学から、今日は金曜日、名物のカレーを若い
隊員と一所に並んで頂いた。中々美味しかったです。その後、基地
資料館を見学、大東亜戦争を学び直し、知らない事が多過ぎだ。





 昨夜の宴は鹿屋市内の「魚菜屋」で盛り上がり、宿は「しらさぎホテル」だ。
基地に隣接の記念館で我らが山本晴美さんの大東亜戦争末期をテーマの歌語りコンサート
「万歳峠」を聞き、午後は遺跡を訪ね、佐多岬を観光して来た。270°の大絶景の
中に特攻機の編隊が、バンクしながら東シナ海に向かって飛んで行く白昼夢を見た。
「敬礼!」涙が落ちるのを堪えた。









 世界の列強と戦い終戦したのが1945年8月、それから遡る事75年は
慶応の時代で江戸時代末期、街中では侍が二本差しで歩いていた。黒船来航は
1853年、ペリーは日本に開国を求めるため、黒船に乗ってアメリカから
やってきた。ペリーの圧力に屈した江戸幕府は、1854年に日米和親条約を結び
遂にアメリカに対して門戸を開いた。これが、明治維新まで続くことになる幕末の
動乱の始まりとなる。対外的には日清戦争は1894年に、日露戦争1904年、
1914年第1次世界大戦、そして1941年大東亜戦争へと続く事になるのだが、
鹿屋航空基地資料館の中に展示してあった零戦と栄エンジンを観て驚いた。僅か
30年足らずでアルミのエンジンを造り、世界一の性能を持つ戦闘機を1万機以上
造り、空母を造り、潜水艦を造り、欧米列強と戦い、アメリカ合衆国と戦った日本。
海上に降りる事が出来、飛び上がれる飛行機の発想と、造り上げてしまう柔軟な
発想と能力、技術力に、我が日本人の底力を観た気がした。









 3日目の朝は早朝の5時30分から始まりました。政信さんが
桜花を抱いた一式陸攻乗り込み、戦友に送られ特攻に出撃した
野里国民学校跡地で、飛び立って行った5時56分に献花をする為だ。
 直ぐ近くにある「桜花の碑」に線香を手向け、国旗掲揚台跡で献花し、
皆で「ふるさと」を歌い、飛び立って行った若者に思いを馳せた。
 その後、本州最南端”佐多岬”まで行き、政信さんが上空から
見たであろう景色を見て帰路に付いた。途中、黒酢本舗「カクイダ」や
道の駅に立ち寄り、土産を買い求め、19時には吉田に到着した。
 今回の旅の為に大型免許を取得し、2台を1台で効率良く済ませた利君、
サブ運転の和君、三浦君、スケジュールを作り手配をしてくれたメグちゃん、
現地で案内してくれた平田さん、久保田さん、そして今回も、鹿屋へ出向く
切っ掛けを作って下さった山本さん、お疲れ様でした。また、沢山の
学び多き大人の修学旅行に協力してくれた皆さんに感謝です。

0 件のコメント:

コメントを投稿