令和6年1月5~7日(金)6時0分出発 気温3℃
我が家を出発。我が人生で初めて、正月が明けてないのに
カミさんと2泊3日の歴婆接待旅行へ出掛けた。名付けて
”戦国時代に思いを馳せて‘’だ。
行 程 表
1日目 富士吉田→三島駅→米原駅(新幹線)レン
タカー→長浜城→竹生島(フェリー)→彦根城→近江
八幡(第一 ホテル泊)
2日目 日牟禮八幡宮→八幡堀散策→安土城跡→信長の
館→八日市IC→名神高速→関ケ原→関ケ原古戦場記念館
→石山寺→(琵琶湖グランドH)
3日目
比叡山→浅井歴史民俗資料館→米原駅(レンタカー返却)
→三島駅→富士吉田着
三島駅 長浜城
長浜港から竹生島行きフェリーに乗船の予定だったが
15分程遅れてしまい乗れなかった。時間調整を兼ねて
近くの長浜城を訪ねた。長浜城は秀吉の居城、姉川合戦
と小谷城攻めで手柄をあげた功績により領地を与えられ
天正5年頃完成、居城とした事から秀吉の出世城と呼ば
れている。
昭和58年に再興されたものだが、天主から四方を
眺めると東に姉川古戦場・伊吹山・横山城、西遠方に安土城
南には佐和山城・彦根城、北には竹生島・賤ケ岳・小谷城
が見える好立地である。
フェリーに乗船し平らな湖面を竹生島へ向かった。その
波を静かに跳ね進むスピードがマッチし”琵琶湖周航の歌”
が脳裏に流れ、口ずさむのだった。
「我は湖の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと・・」
宝厳寺の国宝唐門や都久夫須麻神社と宝厳寺を繋ぐ船廊下
島全体を覆う厳かな雰囲気は、1000年の歴史が紡ぎ
醸し出して来ているのかも知れない。
竹生島
長浜城 彦根城
長浜城は、昭和58年に建設され、内部が歴史博物館として
開館していたが、彦根城は本物、天守、附櫓及び多聞櫓は
国宝になっており、これで、日本に五カ所ある国宝天主の城
姫路・松本・犬山・松江・彦根の全部に登城出来た。
全国に城を持つのは、また一つの日本の文化で魅力だ。
日牟禮八幡宮
近江八幡
近江八幡を訪ねるのは2回目だ。街の中を堀がゆったり
流れ、時折、観光客を乗せた船が通って行く。車・人が
行き交う平面的な道路だけでなく、一段下がった堀を
船が行き交う光景は、羨ましい程に豊かな街、さすが近江
商人を生み出した街だ。
安土城跡
琵琶湖の縁に、どこまでも広がる田圃。その1枚1枚が
とてつもなく広い、恐らく1枚辺り千坪以上はあるだろう。
その、豊かな田園地帯の端、安土山を背景に安土城跡が
あった。聞く所によると、昔は琵琶湖が今より大きく、麓
近くまで水際が来ており、大手道の左右には重臣の邸宅が
あった。右側には前田利家邸跡、ついで左には羽柴秀吉邸跡、
その向かいには徳川家康邸などが続き、その一番上に黄金色に
天主閣が燦然と輝いていた事だろう。山裾まで広がる城郭の
情景は絵画では無く、タイムトラベラーとなって本物が
観たくなった。
信長の館
織田信長を語る時、忘れてならない言葉がある。それは
「天下布武」だ。
そもそも織田信長はどのような意味を持って神社の御朱印の如く
「天下布武」という言葉を発したのだろうか?
「武」という言葉には「争いや戦いを止める」という意味があり
「武」には「七徳の武」の意が込められているといわれている。
1.暴を禁じる
2.戦をやめる
3.大を保つ
4.功を定める
5.民を安んじる
6.衆を和
7.財を豊かにする
天下布武とは織田信長による「天下に七徳の武を布く」という
思い、天下泰平の世界を築くという強い意志の表れだったのでは
ないかと言われている。余談だが、「予が誕生日を聖日とせよ、とは
むろん彼が御子キリストとして降誕した存在であることを知り、以後
5月12日にクリスマス祭は行なうべし、御子ノブナガが降誕したことを
言祝せよ・・・」と、言ったか、言わぬかは知る由もない。
関ケ原古戦場記念館
瀬田の唐橋 石山寺
琵琶湖グランドホテル
比叡山
さひえて、さて何の事だろう。実は、今でも覚えている
ワードだ。さ・最澄 ひ・比叡山 え・延暦寺 て・
天台宗、多分、中学生の頃だと思うが、73歳の今でも
覚えているワードは、悲しいかな、この位かな。比叡山と
云えば、この人「酒井雄裁大阿闍梨」だろう。昔、NHKの
番組で酒井大阿闍梨さんの特集を観て感動しファンになった。
この方は「千日回峰行」と云って、千日間、毎日、
比叡の峰々を巡り約270カ所ある場所に巡礼を続け、
700日目を終えると9日間の断食、断水、不眠、不臥の
命懸けの修行を、何と2度行った方で、まさにテレビを
通して観える生き仏のようだった、合掌。
浅井歴史民俗資料館 メタセコイアの並木
予てより関心のあった浅井歴史民俗資料館へ入った。
1階は浅井3代の歴史や姉川の戦いのシアターがあり
2階には臨場感溢れるジオラマで、平穏時の浅井家族の
幸せそうな情景が流れ、秀吉を先鋒とする織田軍の攻撃に
落城し、後ろ髪を引かれる思いであろうお江を抱いた
お市様、その裾をしっかり握る茶々とお初。浅井殿の
お気持ち、お市様の心情は・・・胸が熱くなった。
机上に地図を広げ、下調べをしていると琵琶湖西岸を
北上ルートから2キロ外れた所にメタセコイヤの並木が
あったので立ち寄ってみた。2003年~2004年に
掛けて流行った韓流ドラマ「冬のソナタ」の撮影ポイント
でもある。並木の木々は葉を落としていたが、マキノ高原
へと続く2,4キロの道路沿いに樹齢43年のメタセコイヤ
が並び、古木の向こう側からヨン様とチェジュウが手を繋ぎ
顔を見せてくれる白日夢を見た。
3日間の走行距離370キロ、良く走った。さすがに
琵琶湖は日本一の湖、大きかった。大きいだけなく、
さらに、その周囲にある歴史の厚み深さは、琵琶湖の水深
104メートル以上に深い広がりを持ち、たった3日間では
湖水の水に指を濡らしただけに過ぎない。だが、関ケ原の
古戦場に来てみて分かる空気感、距離感、笹尾山の石田三成
陣地を見て布陣する家康軍、家康の背後を守る福島・藤堂・
京極軍を松尾山から窺う小早川軍、まさに天下分目の戦いが
繰り広げられた。勝敗は時の運と云うが、東軍西軍どちらが
勝つか分からない、裏切りと調略が渦巻く中で西軍が崩れ、
双方合わせ1万人近くが亡くなり東軍が勝利し、今の世へと
繋がった。思いがけなく良い旅が出来た、いにしえ人に
感謝と合掌。
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