2017年1月19日木曜日

三河古戦場を訪ねる旅

三河古戦場を訪ねる旅  平成29年1月16~17日 

1月16日

   9:30 朝雄宅出発 → 139号線本栖回り 
  10:45 新東名富士IC
  12:30 新城IC → 設楽原歴史資料館 → 長篠城史跡保存館 →
        うな喜 →  大本山方向寺  →  
  16:30 舘山寺ホテル九重in 

1月17日 
 
   9:30 ホテル発 → 舘山寺 → 竜ヶ岩洞 → 井伊谷宮 → 龍潭寺 → 
        三方が原・犀ケ崖資料館 → 浜松城 → 三島食堂 →  中田島砂丘 → 
        浜松IC 
  18:40 富士吉田着 

 正月も終わり、暇になると「どこかへ行こうよ!」の、カミさんの合図で遅い正月休みをとる事にした。
結婚してから44年、二人で旅に出ても会話もなく詰まらない。そこで、叔父さんに白羽の矢を立て
一緒に行けるか聞いてみるとOK、共に出掛ける事にした。叔父さんの名前は渡邉朝雄さんと云い、年齢は
85歳だが滅法若作り、ぱっと見て実年齢を当てられる人は、まずいないだろう。若々しくて活動的、
囲碁を楽しみ、週末には県内の神社仏閣、美術館をくまなく回る勉強家で、自慢の敬愛してやまない
叔父さんだ。また、叔父さんはカミさんの叔父さんでもある。チョットややこしいが私の叔父さんと
カミさんの伯母さんが結婚しており、昔から二人には大変お世話になっていた。13年程前に伯母さんは
亡くなり、以後叔父さんは一人で暮らして来たのだ。そんな、お世話になった叔父さんに長年の感謝の
気持ちを込めての一泊旅行だった。カミさんも歴史好きの歴ばあ、私もどちらかと言えば歴じじい。それに
朝雄叔父さんが加わり、車の旅は、昔話に花が咲き楽しいものとなった。

  設楽原歴史資料館




 設楽が原・長篠・三方が原は、いつか機会があったら行ってみたい場所だった。今回の旅を決める当初は
設楽が原・長篠の名前は上がっていなかったが、地図を見ていると近くに地名があり、インター1つ分で
そんなに離れていない。そしたら行くしかないでしょ!予定に入れた。
 今では高速道路を使い2時間半で来れるが、甲斐の国からこの地まで、およそ210キロ、鎧兜を付け
徒歩で7~8日掛けて来たのだろうか?凄い身体能力を昔の人々は持っていたものだ、驚嘆するしかない。

 設楽が原・長篠の戦いは戦における鉄砲の威力を、まざまざと見せつけ、戦闘の様子を一変させた戦いで
弓・槍・剣術・馬術等の鍛錬を重ねた武士よりも、足軽に鉄砲を持たせれば勝てる、そんな戦の戦術を
根底から変える戦いとなった。馬防柵で騎馬の足を止め、動きの止まった馬上の武士を狙い撃ちにする、実に
理に適った戦法で足軽が簡単に百戦錬磨の武将の命を奪える武器、鉄砲の価値を上げた。
 設楽原歴史資料館の屋上から見える馬防柵が悲しみを誘う。

 農民達は沢山の戦死者を集め埋葬し信玄塚を作った。その辺りから蜂が大発生をして村人や近くを通る
人馬に大きな被害をあたえた。 村人は、蜂の大群を戦没者の亡霊と考え、その霊を慰めるために、川路勝楽寺の
玄賀(げんが)和尚に頼んで松明を灯して供養につとめた。 蜂はまもなくおさまったが、以来、竹広の人々は
毎年この時期になると松明を灯して供養するようになりました。それが現在8月15日に行われている
「火おんどり」の始まりだ。



 うな喜


 長篠城址史跡保存館

 奥平信昌の居城である長篠城が武田勝頼に包囲された時、一命を賭して岡崎の織田・徳川連合軍まで
援軍要請の使いを務め、帰城あと一歩のところで武田軍に捕らわれ、長篠城から見えるところで磔刑に
処された鳥居強右衛門の話が有名だ。

 大本山方向寺


 山号は深奥山(じんのうざん)と称し、 禅宗のうち、臨済宗方広寺派を構成し、その大本山として
厚い信仰を集めています。井伊直政の実母の出身である奥山家ゆかりの寺、また、かつては癩(らい)
患者のための病院施設を開き地域の福祉に貢献しました。さらに、明治14年の山林大火の際に類焼に
遭うも開山円明大師の御墓所と七尊菩薩堂、開山様本像、そして半僧坊真殿が焼け残ったことから、
方広寺の鎮守の神である半僧坊の信仰も全国に広がっています。庭内の所何処にある五百羅漢様や
半僧坊真殿にある工匠岩五郎作一木彫の彫刻上り龍下り龍が特に見事だった。



 舘山寺温泉にあるホテル九重にチェックインした。



1月17日 早朝 

 年よりの朝は早い!?まだ、以前の習慣からか目覚ましが仕事をしない内に起きてしまう。時計を
見ると5時30分だ。カーテンを開けると目前に入り江が広がり、正面に真っ黒く大草山のシルエット
東の空が青くなり始めている。この景色を浴衣に半纏を引っ掛け、真冬に暖かい部屋で眺めている。
ついこの間までは寒空の下、カメラを構えて夜明けを待っていた。こんな感じで夜明けを待つスタイルも
ゆとりがあって良いものだ。入り江の湖面を風が渡り幾筋もの風紋が出来る。そこで一句

 「行く風が 湖面を渡る 舘山寺 東雲時の 景色ぞ楽し」



 ホテル九重から出て、直ぐ隣にある舘山寺を散歩した。海辺の日差しは山とは違って直一層温かく
感じられるのは海風が運ぶ磯の香りが混ざるせいなのであろうか。

 竜ヶ岩洞

 竜ヶ岩洞へ向かった。ここは以前来た事があり、記事を舞い戻って調べたらH16年10月だった。
2億5000万年前の秩父古生層の石灰岩地帯にあり約400メートルの地下を遊覧し、地球の神秘を
体験するのだ。



 井伊谷宮



  龍潭寺

 井伊家菩提寺である龍潭寺を訪ねる。小堀遠州作の庭園が見事だ。NHKの連続ドラマで女城主直虎が
放映されており、その効果だろう、既に沢山の観光客が訪れていた。静岡県に落ちる経済効果は計りしれない
ものがあり、恐るべし連ドラである。




 犀ケ崖資料館

 元亀3年、三方が原の戦いで信玄公率いる武田軍が大勝利した事は知っていたが、ここ犀が崖で
陣を張っていた武田軍に徳川軍が夜襲を仕掛け、人馬諸共多数崖下に落として多くの死傷者を
出した事は知らなかった。この地で夜更けになると人馬の鳴き声やうめき声が聞こえたり、けが人が
出たりした。これは亡くなった戦死者の「祟り」と恐れられ、その霊を鎮める為に鉦と太鼓を鳴らして
供養すると「祟り」は収まったと言われている。その行事が「遠州大念仏」として400年間続いている。



 浜松城

 徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となり出世城と呼ばれている。天竜川沿いに
広がる肥沃な扇状地は龍潭寺から城に向かって何キロも続き、丘の上に野面積みの石垣に立つ浜松城から
遮る事無く見える景色は絶景であった事が窺える。

 中田島砂丘

 中田島砂丘が見たいと言う叔父さんのリクエストに応え、余り遠くなかったので行ってみた。
叔父さん曰く、想像していたより規模が大きく驚いた、さすが日本三大砂丘の一つと感想を話していた。

 富士川SA

 帰り道、丁度、赤い夕日が御山を照らし紅富士になっていた。富士川SAへ滑り込み、ここのところ
御山詣でをご無沙汰をしている事を、少しだけ紅くなった御山に詫びつつ展望台から、その雄姿を撮らせて
貰った。旅の始まりは御山に見送りを受けて出掛け、旅の帰りは御山に迎えられる、そんな日本一の場所は
富士山麓しかない、なんと贅沢な事か!なんと有難い事か!そんな事も知らずカミさんは旅の途中で土産を
買わず、ここでとばかりに一気に買い込んでいる。

 新城で毎年行われる「火おんどり」、また三方が原の「遠州大念仏」。戦いで敗れ亡くなった相手側の
兵士も死んでしまえば仏様。古来より死者の霊をねんごろに敵味方無く弔う日本民族、やっぱり日本人って
凄い、日本に生まれて良かったと再認識する旅となった。

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