2011年11月10日木曜日

白川郷・五箇山・高山・郡上八幡を訪ねる旅

  富士吉田市観光振興サービス開発等調査研究委員会 平成23年10月25・26日 
 
 平成23年7月27日、富士山を世界文化遺産登録へ向け、山梨・静岡両県代表が文化庁を訪ね推薦書原案を提出した。そこで富士吉田市でも登録へ向け民間も巻き込み、皆で盛り上げる意味合いで研究委員会を作り、御山倶楽部副会長の立場で委嘱されたのである。
 
 当初は、平成16年に文化遺産に登録された紀伊山地、山岳霊場と熊野古道などを見に行く予定であったが、15号台風で被害に遭った為、急遽、白川郷・五箇山・高山・郡上八幡に
変更となった。

 ------ 25日 ------

 集合は6時、富士吉田市商工会議所だ、予約して置いたタクシーで向かった。丁度、陽の出の時間と重なり東の雲が良い塩梅に焼けて来る。勿論!いつもだと出掛けている時間だ。運転手さんにお願いして遠回りし、電線の写らない場所まで行き数枚撮り、会議所へ向かった。雲が綺麗に焼け、久し振りの良い陽の出と御山に見送られる1泊旅行となった。

  

 バスは松本ICで降り、野麦街道を左に梓川を見ながら進む、奈川渡ダム辺りまで来ると山々が紅葉が始まっている。入山トンネルはトンネルの中で二股に分かれる珍しいトンネルでこの地を訪ねるのは25年振りだった。



 高山を通り過ぎ11時、白川郷到着。どぶろく祭りで有名な白川八幡神社が迎えてくれた。萩町合掌造り集落の傍にある駐車場へバスは入り、徒歩で庄川に掛かる吊り橋の出あい橋を渡り白川の郷へ一行は進んだ。自販機の外カバーが木目調になっている、無ければ一番良いのだがこうした配慮は嬉しい。和田家を拝観させて頂く、4期16年、村長をされた方の家で、今も
住宅の端に住まわれているようだ。



 外で用を足したくなり玄関の右脇へ回り込むと丁度ドアが開き小便用のトイレが2ツ並んでいる、飛び込んで用を足していると後ろから「すいません!家人のトイレなんですが・・・・」「すいませ~ん!途中で止められないもんで」恥ずかしながら気持ちだけ急いだ・・・。コントのような話であるがホント!和田家の方 ゴメンナサイ。



 合掌造りの2階から上には通し柱が無い、あると作業場として使いかって悪いからだ。先人は賢く合理的、その風土に合わせた住み方をしている。建物の周囲に流れる用水は雪を溶かす為だったり、池には鯉を飼い、観賞用と食用にしていた。水路にゴミが無く水を大切にしているのが判る、水路の煌きが印象に残った。



 明善寺の山門や本堂まで藁葺きで趣きがあった。

  

 高台の萩町城跡まで行きたくてタクシーを探したが見つからなかった。残念に思っていたら、昼食後、委員長の気の利いた一言で大型バスのまま城跡まで向ってくれる事になった。白川郷と云えば、この高台から見た景色、ここから見なければ行った事にならない。

 「藁葺きの 屋根に苔生す 合掌の 小雨に煙る 白川の郷」

 越中五箇山・相倉


 30年振りに訪ねた。昔、友達3人で直ぐ傍にある平村の友人の親戚へ泊めて貰い、相倉まで遊びに来たが、雰囲気だけは昔と変わっていなかった。土地が狭いので駐車場の確保と田圃の地下トイレに工夫の後が忍ばれた。



 集落の中に、藁葺き屋根の共同トイレがあったが、残念な事に掃除が行き届いておらず何ヶ月も掃除をしていない状態だった。民家の石油タンクの防油提のコンクリに板を回したり、タンクの色を茶色く塗る気遣いは嬉しいが、出来れば全戸統一して欲しいものだ。

 昔訪ねた村上家(車中から)  菅沼合掌集落
     



 バスは定刻の16時、高山グリーンホテルに到着した。
細谷委員長、佐藤さんと私の3人が同室となり、誰言う事なく、食事時間まで時間がある高山市内の見学に行こうと話は決まりタクシーに飛び乗った。運ちゃんに相談したところ近くの桜山八幡宮にある高山祭屋台会館に連れて行ってくれた。閉館30分前、中では巫女さんが、最後のお客であろう我々に詳しく屋台の説明をしてくれ。御輿に付いた菊のご紋章に付いて尋ねると、天皇家の菊の花びらは16枚だが、こちらのものは17枚1枚違えばデザインが変わるので、使用に問題なしだそうだ。そういえば翌日訪ねた郡上八幡の安養寺にあった灯篭の御紋も、数えたら17枚だった。

 神楽台・行神台・鳳凰台・石橋台が展示され、その絢爛で豪華な山車にため息が出る。各台には、それぞれ彫刻や仕掛け人形が施され飛騨の匠の技術力の高さを伺い知る事が出来た。
歴史ある街には良い祭りがある。



 男だけの宴会が粛々と行われ(ま~、研修旅行ですから・・・)物産店を眺め土産など買い求め、早々に休んだ。





 ------ 26日 ------

 予定を30分早め、8時30分の出発となった。
明神町の駐車場へバスを止め、当初予定に無かった高山の街を1時間程散策する。それぞれの家が、昔からの町屋を工夫して上手に使い魅力的な街となっている。 バスの中で同行の方が、こんな話をされていた。おかあちゃんが旅行に行くから「何処へ行く?」と聞いたら、また高山。もう10回も来ているかも知れない?「何でそんなに?」と聞いたら、まだ回りきれていないのだそうだ。 何軒かお店に入るとお財布をくすぐられ、ご婦人は堪らないだろう。魅力的な店構えだったり、内装や販売している商品も洒落ていた。確かに高山は観光先進地だ、何度も何度もリピートする魅力を創出している。屋台を見て高山祭りで実際に動く屋台を見たくなった、近々に再び訪れるだろう。



 トンネルの多い東海北陸道を南下11時、郡上八幡へ降りた。
八幡博覧館で予約しておいたガイドの塚原さんに案内して貰う。博覧館の中は郡上の街を昔から現在までを解かり易く集約してあり、特筆すべきは郡上踊りコーナーがあり、触り部分をユカタを着た女の子の指導で踊れる事で、十曲十種の内から「かわさき」と「春駒」の実演指導を受けて皆で踊ったが、このように観客を巻き込み体験出来る事は、想い出が持続するので良いと思う。



 職人街・鍛冶屋通りは住民が昔から水を大切に、そして上手に使っている事が判る。家と水路の間に花を植えたり無機質なエアコン室外機に木製のカバーを付けたりする行為で景観を配慮し気遣っている事が判り、訪れた人を気持ち良くさせてくれる。遠来の親戚・友人が家を訪ねる時、昔、おじいさん・おばあさんが言っていた「みっともないから綺麗にしとけ・・・」この気持ちと一緒である。



 民家の軒下に何気に飾られた「見とくわ館」の俳句は、郡上を訪ねたお客さんに書いて貰いそれを飾ってあるだけのものだが、これだけで、飾って貰っている客人はリピートする可能性が出て来るし、俳句の好きな方には堪らず、見て歩く事だろう。



 遊び心に溢れたバス停の案内。「見て周り 乾いた喉に 宗祇水」なんちゃって♪



 写真・左から2番目を見て欲しい。これが、いつも見ている川の印象だ。ところが郡上八幡は違っていた、住民総出で大掃除をした直後に行ったと思える程完璧に川の中にゴミが無い、住民が住んでいるのを疑う程の綺麗さで完璧だった。こちらの側溝から流れ落ちる下の鋼蓋にゴミが落ちているのを発見し、人間の所行を確認出来て安心した。多分、捨てた輩は住民ではなく観光客であろう。民家の間を流れ、眩しいほど煌く川面と郡上の住民が重なって見えた。 



 郡上八幡樂藝館は元の町役場を上手にリニューアルし、観光案内所の機能を持ち土産も置いてあり飲食も出来た。「郡上青山倶楽部」と名付けたサポーター制度が興味深く印象に残った。



 郡上は食品サンプルが有名「サンプル工房」に立ち寄り製作工程や作品を見せて貰ったが、肉の質感やビールの冷えた感じまで出す技には舌を巻いた。新町通りはなんて事無い普通の商店街だが、祭りの日には4~5万のお客様が集まり踊るそうだ。 



 「いがわ小径」を歩いたが、用水は地区住民が昔から大切に守られ管理されており大きな鯉が泳いでいるのは普通だが、足元で尺イワナやアマゴが泳いでいたのには驚いた。水の綺麗さと水量があるから出来る事だと思う。水路脇に何気なく置かれた石は自然を演出すると共に腰を下ろせる休み場所としても使え、そんな配慮が嬉しい。



「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。(郡上踊りHPから)

 郡上踊りの規模を HPの日程表 を見て驚いた。3ケ月に渡り行い、お盆の13~16日は
徹夜踊りと称し午後8時から午前4時迄踊るのだという。「  郡上踊り 」パワー溢れる
凄い祭りがあったもんだ。墓で眠る城主は、してやったりと思っているに違いない。

 郡上八幡は郡上踊りと水の街。八幡城に見つめられ、吉田川で川ガキが遊び成長する街、自分達が遊んだ川を愛し、子供の頃から踊った祭りを愛し、水を大切にし未来に贈る
 そんな文化が自然と備わった誇りあふれる魅力的な街だった。



 郡上を後にして遅い昼食となった。昼食場所は長良川にヤナを持つ「みやちか」さんだった。鮎料理を頂いたが、鮎の塩焼きは絶品!箸先で骨回りの身をチョンチョンと押し、シッポを切りそして頭を持って引き抜いたら綺麗に骨が抜けた。天然鮎の証拠だ。食後、長良川のヤナに下りた。高台の店から見るのと違い、近くで見ると大迫力。大量の水がヤナ場に流れ込んでアマゴが1匹
掛かっていた。思いがけなく、行ってみたかったヤナ場で食事が出来て良かった。



 帰路、中央道から夕焼けに染まった八ヶ岳が見えて綺麗だった。さあ!次は富士山の番だ県境を越えた辺りから正面に見えて来る、バスの運転主にお願いして隣でカメラを構えた。夕闇が迫りコンパクトデジカメでは限界だ、10枚程撮った中から1枚だけが何とか見れた。どこへ行っても帰り道では富士山を探す習性は変わりそうも無い。

 富士山を世界文化遺産登録 へ向けて・・・重いテーマだ。
平成23年7月27日、富士山の世界文化遺産登録を目指し作成を進めてきた推薦書原案が
山梨・静岡両県から文化庁に提出され、富士山世界文化遺産登録の実現に前進したが
山梨県側市町村の歩調は合っているのだろうか?静岡県側はどうだろう?まずは富士吉田市民の
コンセンサスを得て気持ちを合わせる事から始めなければと思うが・・・
 24年夏~秋 イコモス の現地調査が行われる。その際、北富士演習場で実弾演習が行われ
砲撃の音をイコモスの方々が聞いたらどうだろう。北富士・東富士演習場は富士山麓にある。実弾演習は文化的な行為だろうか?危惧されるところだ。

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