福島県・会津若松市 平成18年6月26・27日
「プツ・プツ・プツ・プツ♪」月曜日の早朝、電話が鳴った。「寝ぼけまなこで、誰だ!こんなに早く・・・電話掛けて来て・・・」 隣で寝ている家内に「良いよ出るな!・・・ブツブツ・スヤスヤ」電話が切れた。また、電話が鳴った「プツ・プツ・プツ・プツ♪」 再度の電話にムッツリしながら「もし・もし!」「おはようございます!遠山さんですか!桑原です」会議所の担当からの電話でした。「何どうした?」「旅ツ!旅行ですけど・・・」「エツ!明日じゃないの?」「今日26日ですけど・・・」眠い目を擦りながら後ろの壁に掛けてあるホワイトボードを見ると26・27日に旅行と書いてあった。 勘違いである。ボードの曜日の所に、日曜日は赤マジックで数字に丸く印を付けて置くのだが、その印が24日に付けてあったので、旅行は火曜日と完全に思い込んでしまったのだ。まったくの勘違いであった(^^ゞ「忘れてましたか?・・・どうします?」「ん~ン!」そしたら桑原君が「河口湖I・Cから乗るんで寄りますヨ!」その一言が無かったら旅行を断っていた所だった。 速攻で着替え、バックへ必要な物?を詰め込み、玄関を開けた所へバスが止まりドアが開いた。「皆さん、おはよおうございます!ご迷惑をお掛け致しましたm(__)mすいません!」と言いながら、視線を避ける様に空いている席に座った。 超ー!カッコ悪~い出発だった!
行 程 表
26日 バス・富士吉田 → 中央高速 → 首都高 → 東北自動車道 → 会津河東IC
→ 会津・渋川問屋(研修・昼食)七日町通り見学 → 芦の牧温泉・大川荘(泊)
27日 ホテル → 桐屋夢見亭(蕎麦打ち見学) → 桐屋権現亭(研修・昼食) →
→ 会津河東IC → 帰路 → 18:30着
観光カリスマ・渋川問屋 渋川恵男氏(しぶかわ ともお)
観光カリスマ2・桐屋権現亭 唐橋 宏氏(からはし ひろし)
渋川問屋 店内看板 店内看板
大変忙しい中、時間を作って頂き渋川恵男(しぶかわ ともお)氏に、お話を頂いた。帰郷した当時「よそもの3人組」と呼ばれ、煙たがられていた人達を中心に町の活性化を図りまちなみ協議会を作り、地域における活動の普及に尽力されている。明治から昭和にかけて海産物を扱う大店だった渋川問屋の代表で、塵ひとつない床は、黒光りする程磨き込まれており2階は旅館になっていた。1階は料理屋でもあり、それぞれに趣のある部屋で食事を楽しむ事が出来、「鰊の山椒漬」「棒たら煮」「こづゆ」などの会津郷土料理を提供し、お客様の舌を喜ばせてくれる宿でもある。案内の方に聞いたら日曜日は200人近い方が食事にいらしたそうだ。
まちづくりのカリスマに共通する所がある。淡々としたお話の中に、力強い説得力と培ってきた自信があることだ。ひょっとすると毎日かもしれない?全国からお話を聞きにみえるお客様に対して力まず驕ること無く飄々と話してくれる、ほんとうにありがたい事だ。お話の後、会議所の方の案内で七日町通りを散策したが、郷土料理にしても、まち並みにしても我が富士吉田市と比べてみると歴史の重みの違いを感じてしまう。
芦ノ牧温泉・大川荘
桐屋夢見亭
桐屋権現亭
翌日は蕎麦でまちおこしを提唱している唐橋宏氏を訪ねた。凄い人に出会った。蕎麦道へ入って35年、とってもパワフルで行動的な人だ。頂いた経歴を見て驚いた、日本だけではなくネパール・タイ・オーストラリア・イタリアまで蕎麦の種を蒔きネットワークを持つ方だった。 お話の中で印象に残ったのは、土地の食べ物を如何に生かし、地味豊かな食べ物にするか。行政の垣根を如何に越え連帯するか。住民意識がスズメの学校では無く(竹やぶのスズメは目的意識も無くあっちこっちを向いている事)メダカの学校(上流に向かって一緒に泳ぐ事)が肝心。今の富士吉田市に置き換えてみると胸が痛くなる。取り合えずは、自分ちに、いらっしゃるお客様を大切にし、基礎を築き、余力が出来たら社会に還元するとしたい。
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