2006年4月28日金曜日

先の大戦を訪ねる旅

   平成18年4月17・18・19日

   映画”男たちの大和”を2月17日に観た。子供の頃、暇があれば絵に書き、プラモデルを作っていたのが0戦と大和だった。そんな思い入れがあり上映中に必ず観たいと思っていた。映画は尾道市の日立造船ドッグに原寸大の大和を再現したものを使って撮ったもので本物の迫力が
 画面から感じられた。丁度、毎年出掛ける仲間の旅行があったので、その旨を説明し皆での訪問を提案すると、気持ち良く受け入れてもらえた。

   男たちの大和
   尾道・大和ロケセット
   大和ミュージアム

 日程は4月17日から2泊3日で決まり、行程は任された。インターネットを駆使してネット旅行の開始だ。新幹線の切符は会計係りが買った。以外の検索は慣れてる所でクリクリッと全て楽しませて頂いた。メインの”大和ミュージアム””大和セット”は、休みがあるので、行程と宿との折り合いが中々難しかった。

              行    程   表 

17日  車 → 新富士駅(こだま) → 名古屋(のぞみ) → 福山駅(こだま)
                                      ↓
      しまなみ海道 ← 大和セット ← レンタカー ← 新尾道駅    
        ↓
     大三島・大山祇神社 → 宿・鞆の浦 鴎風亭  


18日  宿 → 尾道散策 → 食事処”青柳” → 尾道I・C → 甘日市IC 
                                            ↓
     宿・岩国国際観光H ← 錦帯橋 ← 岩国IC ← 大野I・C ←厳島神社 


19日  宿 → 岩国I・C → 広島・沼田出入口 → 原爆ドーム・資料館 → 宇品I・C
                                                 ↓
      江田島・旧海軍兵学校 ← フェリー ← 大和ミュージアム  ← 呉I・C  
       ↓ 
      フェリー → 呉I・C → 宇品I・C → 広島駅(のぞみ)→ 名古屋(こだま)
                                             ↓
                                 富士吉田 ← 新富士駅  


 時速300キロ、新幹線”のぞみ”のスピードは速かった。雪を被った富士山が良く見えていたので、撮影しようと窓際でカメラを構えてはみたが、その速さに付いて行けず、富士は山の陰に隠れてしまいシャッターチャンスを逃してしまった。”のぞみ”と”こだま”を乗り継ぎ、4時間程で新尾道駅に着いた。
    
    
    新幹線”のぞみ”   尾道ラーメン”東珍康(トンチンカン)”        

    

 予約しておいたレンタカーに乗り換え”大和オープンセット”へ向かう前に、名物尾道ラーメンを食した。”東珍康”と云う店だ。スープにコクが有り、皆美味しいと言って食べた。カウンターの上に載っていた珍しいミノの天婦羅を食べる事が
出来ず残念であった。
 橋を渡り向島に入ると所々に設置してある”大和セット”の立て看板が見えて来ただけで胸が高鳴った。日立造船の駐車場に車を止め構内循環バスに乗った。1つの棟に体育館が10棟も入るだろうか巨大なガランドウのドッグ施設の間をバスは走った。バスから降りると目の前に”大和”はいた。船首に付いた菊の紋章が地味な船体に映えて綺麗だ。係りに勧められるまま、その前で記念写真を撮ったが背中が落ち着かない。はやる気持ちを落ち着かせチケットを貰い、甲板へあがった。広~い!巨大な甲板だ。巨大な砲。艦橋は無いが1/1スケール。大和の巨大さは十二分に伝わって来た。60年前に、この世界一の船を日本が創ったのか!凄い事だ。砲座を大和をさすって歩いた。

    
                                     因島大橋

 ”大和セット”を後に、四国・今治市へと続く”しまなみ海道”を大三島へ向かった。大三島には大山祇神社があり、この神社は全国に散らばる大山祇神社の総本社で日本総鎮守の名を称されている。地区にあり世話役をさせて頂いた「松尾神社」もまた「北口本宮冨士浅間神社」も、祭神の一人は大山祇命だった。また、この神社の宝物殿には全国の甲冑の8割とも云える収蔵品があり、観る事が出来るのをネットで知り訪ねる事にしたのだが、来て良かった。何と!源平の戦い以前800年以上までタイムスリップ出来た。頼朝が義経が奉納した鎧が目前に有ったのだ、よく占領軍に取られず残ったもんだ。

    
     大山祇神社        

    
                     鞆の浦港           対潮楼  

 午後5時、尾道から沼隈半島を半周し鞆の浦へ着いた。カーナビに従い一方通行の表示だけ気を付けて街路を走るが、とにかく狭い。レンタカーがいつも乗りなれている愛車のアルファードと一緒だから良かったが、T字路を曲がる時に1~2回切り返しをしないと周りきれない狭さだった。ホテルへ入るにはまだ早いので駐車場に車を止めて、町内を散策した。良く保存された古い街並みが並び、今にでも脇差をさした浪人が出てきそうな雰囲気を醸し出す街だった。後になって知ったのだが幕末・明治・大正時代の建物が残る街として知られているのだそうだ。

    
     沼隈半島マップ     瀬戸内に昇る朝日   千光寺山ロープウエー            

 朝6時起床、霞の掛かる瀬戸海を1枚撮った。交通ラッシュの様子が分らないので充分ゆとりを持たせ、8時にホテルを後にした。ネットで調べていた時、尾道市にシルバーガイド制度があり、観光案内を依頼しておいたのだ。待ち合わせを9時、市役所駐車場入り口でしていたが、15分前に到着した。早く着いたのでセンターへ電話を入れると既に待っているとの事、見回すと女性が・・・。根拠無く男だとばかり思っていたらガイドさんは女性で住田さんと云った。

    
   中央・大和セット      文学のこみち       千光寺・奇岩      

 3時間でお願いしたら”文学のこみちコース”の、ご案内になった。千光寺山ロープウエーで頂上まで上がり、見所を観ながら下ってくるコースだった。展望台からの風景は正面に向島を配し、島々が点在し尾道が自然の要害になっていたのが判った。繁栄した街で、豪商の中には自前の寺まで持つ商人もいたそうだし、この小さな街に80軒?寺?を越える寺があった事を聞いただけで、この街の繁栄の凄さが解った。”文学のこみちコース”の途中には巨岩あり、寺あり、尾道有縁の文人の句や小説の一部が刻まれた岩が点在し、旅人の足を止めさせる。ガイドの「一句詠んでみたら如何でしょうか?」の提案で捻ってみた。

 ”尾道の 千光寺山 上り来て 英霊想う 遅咲き桜” と、詠んだら、ガイドと仲間に拍手を頂いた(^^ゞ

 退職された方が行うガイド制度は興味深い試みだった。当地には富士山麓の自然を案内するエコツアーガイドがあるが、広範囲に渡る山麓を効率良く楽しんで頂く為にガイドを車に乗せ、各観光ポイントでは説明を行える観光ガイドがいたら面白いかも・・・などと考えてしまった。  
 
    
     三重塔         文学記念室        志賀直哉旧居前にて     

    
   天寧寺・五百羅漢       映画資料館       食事処”青柳”         

 天寧寺の五百羅漢は素晴らしかった。その昔、仏師を常駐させ造らしたそうだが、作風・仏様の着物の着色・面立ちが違っており、凄いの一語だった。ガイドさんに襖の奥にある直原玉青画伯の絵を見せて貰ったが、遠い異国のニューギニアで戦死した戦士の遺骨と、残骸となった戦車が描かれていたが明るいはずのヤシの木、砂浜が暗いタッチで書かれ、無くなった方の沢山の遺骨ではなく、たった1人と錆びた戦車が戦争の情けなさを語っていた。

    
  名物・オコゼのから揚げ    宮島行き船乗り場      海に立つ大鳥居    

 昼は尾道の名物で?・・と云う訳で、ガイドさんと別れ、紹介された食事処”青柳”で昼食を取った。オコゼが有名だそうで、から揚げが入ったコースを食べたが、ン~ンツ!コンなものかなって感じで特段に美味しいって云うものではなかった。 午後1時、尾道ICから高速へ乗り甘日市IC経由、宮島へ向かった。

    
     厳島神社          錦帯橋        橋の木組み    
      
 波止場の近くに車を止め船で厳島神社へ向かったが、乗船場所にある大型土産店のあちこちにデコレーションしてある”もみじ饅頭”の文字を見て広島入りを実感した。昔TVで流行した漫才ブームで広島出身・島田洋七と岡山出身・島田洋八の漫才師コンビ(B&B)の掛け合いの中で洋七がギャグとした”もみじ饅頭”= 広島 の図式が脳裏にこびりついていたのだった。故にTVの 影響ってやつは恐ろしいものだ。 船着場から神社までは徒歩で10分程歩いた、午前中、千光寺山をかなり歩いたので皆バテバテであった。海に立つ大鳥居、潮が満ちると海に浮かぶ大伽藍、栄耀栄華を誇った平清盛。当時小船で大鳥居をくぐり、初めて参拝した武士達は、伽藍を目にしてさぞかし度肝を抜かれただろうと簡単に想像出来た。 
              
    
     鯛ソーメン        押し寿司        原爆ドーム  

 宮島を後に、5時には宿泊地”岩国国際観光ホテル”へ到着した。チェックインするにはまだ早いので、ホテルの駐車へ車を止め、近くにある錦帯橋を観に出掛けた。綺麗なアーチ型の橋だ。下から観たら、その木組が複雑で建築技術のレベルの高さが観て取れた。近くの出店から「おにーさん♪」の声が・・おじさんは「おにーさん」の掛け声に弱いのだ。「御終いだから串物50%割引にするよ!」「イカ焼き頂戴!」ついでにビールも・・・・。運転手に徹していたので昼も飲めなかった。ビールが喉にしみた「うめーツ♪」小腹の減った胃袋に一気にイカが飛び込んだ。ベンチに座り、手に残った割り箸を腕を伸ばして金帯橋にかざし木組と重ね合わせ、橋を肴にビールを飲んだ。旨かった~♪

 旅行に出掛ける時は、いつもPCを持ち歩く、そして時間が空いたら写真を添付してUPするのが旅のスタイルになっているが、今回は特別に嬉しい出来事があった。 岩国に泊まっている時に、8月にパインツリーへ泊まりたいとおっしゃる岩国に住まわれる
下記(HP掲示板から)あきさんとおっしゃる方から掲示板へ書き込みがあったのだ。


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あき Tuesday, 2006/4/18 23:57:52  ( pl321.nas922.yamaguchi.nttpc.ne.jp )

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初めまして。8月の宿泊予約をしたくて訪れました。
やっぱりたくさんの人が狙っているのかぁ~・・・5/1はスゴイことになりそうだぞ・・・と、今から緊張しております。
パインツリーさんも御覚悟を・・・!(笑)
そして訪れた掲示板。
オーナーさん、現在私が住んでいる街、岩国にいらっしゃるんですね!と驚き、書き込みしてしまいました。
岩国・・・観ていただいた通り、何もないような街ですが(笑)・・・私は錦帯橋、岩国が大好きです!来ていただいて光栄です!
(ちょっと前だと桜があって、もっときれいだったのに・・・雨で散ってたでしょ。いいところみせれなくて残念です。)
私たちも8月にそちらに行きたいと思っています!
その際にはよろしくお願い致します。

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オーナー Wednesday, 2006/4/19 06:49:07 http://kashibesso.com/  ( n00098.gmms11.imtp.yoyogi.mopera.ne.jp )

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あきさん、おはようございます!
 書き込みありがとうございます。

>・・・パインツリーさんも御覚悟を・・・!(笑)

 了解致しました。

>岩国・・・観ていただいた通り、何もないような街ですが(笑)・・・

 イイエ!静かないい街ですね。橋も城も、古人の築いてくれた歴史を感じさせてくれる
 街です。この街のどこかに、あきさんが・・・まだ夢の中でしょうか?
  後1時間で発ちますが、書き込みを頂き、掲示板のお陰で何か新鮮で不思議な
 感覚を頂きました。岩国、想い出に残ると思います。

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 こんなやり取りをさせて頂きました。凄いですよねインターネット♪ 
だからPCを家に置いてく訳にはいかないのです。

    
     平和記念資料館                  呉・大和ミュージアム 

 午前8時ホテルを出発し広島へ向かった。高速道路を使ったので1時間も掛からず広島へ入った。道路が広く近代的な街並みが印象的だ。平和公園の近くへ車を止めた。サンモールの近くの橋を渡ると右てに、周辺の建物とは異様な原爆ドームが見えた。良く整備された公園を歩き平和記念資料館を見学した。1発の原爆で20万人を超える死傷者、想像を絶するものだ。世界中に広がる原爆保有国のミサイルが発射される事など無い事を願いたいものだ。

    

 ”お好み村”へ寄って広島名物”お好み焼き”を食べたかったが、昼食には時間が早かったので呉に向かった。呉に近づき、高速道路を下って行くと入江に建造中の大型タンカーが見えた。道路の処所に”大和ミュージアム”の看板があった。
まだ新しい建物だった、玄関に置かれた戦艦”陸奥”の40センチ砲1門が巨大だった。体育館の様な建物の中に1/10スケールの大和は鎮座していたが、なにせ1/1本物サイズに触れてしまった後では、その感動は消えていた。保存状態が良く、整備すれば空を飛びそうなO戦も展示されていた。周囲を周りながら角度を変えて眺める事が出来る展示方法が新鮮だった。

    
                  0戦           江田島行きフェリー
 
    
 旧海軍兵学校 現在、海上自衛隊第一術科・幹部候補生学校   

 呉から南下し、早瀬瀬戸を渡り北上し、旧海軍士官学校(海上自衛隊第一術科学校・幹部候補生学校)へ行く見学予定を組んだが、案内係りに聞いたら江田島・小用行きフェリーがある事を知った。海無し県に住んでいるのでフェリーと云う発想が無かったし 調べた範囲には客船は有ったがフェリーは無かった。バス・タクシーに気を使わなくて良いので有り難く、また、その間20分程だが運転せずに済むのが一番だった。

 午後1時の見学コースに間に合った。レクチャーを受け見学したが、その規模と施設の広大さに驚かされ、1時間30分の時間では良く見切れない内容と貴重な品々があった。中でも、幹部候補生学校の光沢のある茶色のレンガと白色石のコントラストが見事で、とても綺麗、100年以上経った建物には見えなかった。教育参考館は重厚な石造りで、幕末から第二次世界大戦までの海軍関係者の書・絵画・遺品が沢山展示してあり、特に自らを犠牲にして国の為に散っていった若き特攻隊員の遺書が涙を誘った。兵学校校長松下元少将考案の「 五省 」は、現在の海上自衛隊においても、日々の行動を自省する標語として用いられているそうだ。

 一、至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか   (真心に反することはなかったか)

 一、言行に恥ずるなかりしか    (言葉と行ないに恥ずかしいところはなかったか)

 一、気力に欠くるなかりしか            (気力に欠いてはいなかったか)

 一、努力に憾(うら)みなかりしか           (努力不足ではなかったか)

 一、不精に亘(わた)るなかりしか         (不精になってはいなかったか)


    
    教育参考館           特殊潜航艇        広島駅     

 
今回の旅行は大和から始まり大山祇神社・宮島・原爆ドーム・旧海軍兵学校と観て回ったが人間と戦は離す事の出来ない悲しい性(さが)で、戦いの無い今はたまたま端境期に過ぎないと思ってしまう。出来ればこの平和が恒久的に続ければ・・と願ってやまない。 この大和の国はいったい何処へ向かおうとしているのだろうか・・・。

 

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