5月22、23日
今回の旅行は金沢方面に行こうと思っていたが、5月21日の晩、突然午後12時に日光への旅行が決まった。 6月23日に家内が友人とのグループ旅行が急遽、法事が当日入ってしまいキャンセルになってしまった為である。出掛ける先は日光鬼怒川であった。そこで、2人とも行っていなかった日光が浮上し「じゃ!行こうか!」と、なった訳である。
22日朝”日光金谷ホテル”に電話を入れ、当日予約が出来た。1泊2食付きで18000円だった。粗、満室状態のチェックアウトを済ませお客様を送り出してからの出発で、午前11時30分に出発した。 快適なクルージングで、首都高に停滞が見られず、ラクラク美女木ICまで走った。初めての東北自動車道は片道3車線が走り易く楽チンドライブ、3時間30分で日光に着いてしまった。
日光東照宮は”凄い!”の一語に尽きる場所だった。家康公の力を遺憾なく見せられた。日本中から名工を集め、何年もかけて完成させた神社は、すべてが美術工芸品の集まりで、匠の技の素晴らしさ、レベルの高さに
驚嘆した。
東照宮裏手の山にある「裏見の滝」駐車場に車を止め、川に沿って10分程歩く
日光金谷ホテル
明治6年創業のクラシックホテル、機能的ではないが重厚でレトロな何処か懐かしい雰囲気のホテル。廊下に飾られた写真の中で当時、プールを凍らせスケート靴を履きセーターを着てマフラーを巻いた少年が、スケートを楽しんでいる図は驚いた。昔、幼少の頃、富士急ハイランドでスケートをした時に、使用したのはゲタスケートだったのだ。*ゲタの下に刃を付け、専用の紐で足に縛り付けたもの。
23日
竜頭の滝、明智平を周った。華厳の滝(写真ナシ・処理中にロストしてしまった)は滝壺近くまで、約100メートル降りるエレベーターと、滝壺まで伸びたトンネルが印象に残った。展望台から華厳の滝のマイナスイオンをたっぷり浴びて帰った。中禅寺湖、戦場ヶ原など周り、鬼怒川温泉のアサヤホテルに泊まった。
24日、日光江戸村に行った。
江戸の町を想定したテーマパークで、想像より規模が大きく、従業員の皆さんも
愛想がよく、半日は楽しく遊ぶ事が出来るスポットだ。
東部ワールドスクエアーはガリバーになれる空間だ。世界の名だたる建造物のミニチユアが広い敷地に並んでいた。サイバーショットを手に、1時間の世界一周撮影旅行を楽しんだ。
帰り道、超有名な日光サル軍団を訪ねたが、丁度公演が終わった所で、次の公演までは1時間以上待たなければいけないので、取り止めにし帰路についた。途中で宇都宮のギョウザを食べようと話が決まり、駅裏の宇都宮餃子館に入った。午後1時を回っていたが店内は混んでおり、食べた中では野菜餃子が美味しかった。
帰路も首都高に大した停滞も無く、6時には家に到着した。普段、緑に囲まれ、湖まで10分まで掛からない所に住んでいるので、山や湖を見ても感動は無いが、東照宮のスケールと、今に続くその威光には驚きを禁じえない。 まさに「日光を見ずして ケッコウと言うなかれ!」だ。
2002年5月18日土曜日
京都旅行
14年4月9,10日
9日、午前9:30分 積み立てをしている友人4人で車に乗り合わせ京都に向かい出発した。曇りではあるが、時折日が差し> まずまずの天気に安堵した。新富士から新幹線を使っての豪華旅行ある。 11:27分 新幹線に乗車
こだま413号 11:27~11:39 [12分] 6090 円 指 4490 円
静岡乗り換え ひかり151号 11:51~13:29 [98分] 333.4 km
13:29 京都着
修学旅行以来37年振りの京都だ! 京都が好きなのは解っていた。御膳に好きな物が乗れば、色々食べて、一番最後に残した物を味わって食べる、そんな性格だ。わざわざ遠回りをして、旅行の候補から京都を外す、そんな事が何回あった事だろう。今回は日程、予算、皆の希望が合致して外す訳には行かず、ついに来てしまった。京都駅に降り、地下街を抜け駅ビルのフロアーに立ち見上げると、まさにそこには京都の玄関、現代の山門、大伽藍の京都駅ビルがあった。
タクシーに乗り、宿に向かった。碁盤の目の街は時折、ビルとビルとの間に、古き事の気高さを誇り、自己主張するかの様に木造建築が建っており、そのアンバランスが京都らしく思えた。京都市中京区御幸町のホテル西山にネットで宿を取った。B&Bで7000円だ。カバンを置き、また車に飛び乗った。タクシーの運転手、中村さんと話をしている内に、まずは二条城に行く事になった、自由気ままな、お気楽旅である。駐車場から山門をくぐると、富士の裾野の稜線に似たラインを持つ屋根に見覚えがあり、城内に入り廊下を歩くと、只のキシミ音ではない上質な鶯廊下の鳴声を足の裏が覚えていた。37年の時の流れを楽しむ様に、歩幅を狭くし片足づつ交互に体重を乗せて歩いた。廊下ですれ違った観光客の視線を背中で感じた。
次に中村さんが案内してくれたのは洛北の原谷苑だ、市内の桜が終わっているのに、この丘の、紅しだれ桜は見事に咲き誇っており京都の桜を諦めかけていた気持ちが、一気に原谷苑のしだれ桜で満たされた。しだれ桜の下でビールを頂き、休憩しながら「割れしのぶ」に結った髪にしだれ桜のカンザシを付けた舞妓さんが居ないかと、目が探した。
原谷苑から仁和寺に向かった。4時30分を少し過ぎての時間で、駐車場は係りが閉め始めており車を停められなかったが御室、地元出の中村さんには関係なく、グルッと迂回し五重塔の近くの裏門から境内に入った。そこには京都で一番遅咲きと言われる「御室桜」が咲いていた。この桜は花弁が大きく昔、小学校の徽章で使われていた、桜のモデルだと中村さんが教えてくれた。手にすると確かに大きく、学帽に着けていた物と同じで、その大きさに感動した。
6時までに京都駅、烏丸口に到着出来れば良い事を告げると、中村さんは嵐山高雄パークウエイの三つ葉ツツジを提案してくれ、嵐山へ向かった。パークウエイ入り口を左に通り過ぎ、1分程走った先には一面三つ葉ツツジが咲き誇った西明寺の裏山があった。パークウエイを走ると、やはり三つ葉ツツジが道路の両側に、目を飽きさせる事無く咲き、繋がっていた。只の山岳道路もこんな演出があると嬉しいものだ。途中下車の休憩場所から眼下に見える保津川の流れ、トロッコ列車の軌道に再会を誓った。
嵐山から下り、大堰川に架かる
渡月橋を観た。堤、川、橋、料亭旅館人工物と自然の織り成すバランスがとてもマッチしており、とても気持ちがいい場所だった。夕方で多少込んではいたが中村さんは6時ジャストに烏丸口に車を着けてくれた。 さすが!プロの技である多少ではあるがチップを弾んだ。
6時20分、予定していたバスツアー「京料理と祇園島原」に乗車、合計12名のお客様であった。四条通りを右折し、花見小路通りに入ると、車窓にタイムスリップしたかの様に、時代が育んだ木造、京の風景が車窓に広がった。窓の下を、丁度通り過ぎた芸妓さんを観て、ドキッ!と、時めいてしてしまった。弥栄会館(祇園女子技芸学校の隣)で舞妓さんの舞を観た、3人の舞妓さんの 中で、黒い着物の「豆鈴」ちゃんが可愛く、指先がしなりが綺麗で印象的であった。
和風レストランで京料理?だそうな左を食べたが、幕の内弁当程度の代物で6900円のツアー代金では致し方ない所だろうか。今日、食べるから今日料理京で食べるから京料理!なんちゃって♪ 同じテーブルに向かい合って座ったおばあさんが楽しかった。大森さんといい76歳、千葉からの1人旅だ。宿も取っておらずの冒険旅行で話の中で父親が山梨出身、奇遇な事に同行の仲間に同じ名前の大森さんが居たりで話に花が咲き仲良しになってしまった。 宿を心配する大森ばあさんに、宿舎のホテル西山に電話して、営業をしてしまった。自分が76歳になった時も、かくありたいものである。
西陣会館のコーナーに小さな舞台が設えてあり、そこが花魁ショーの舞台であった。太夫がお女中の案内で、お供の女の子と歩く様は豪華絢爛ではあるがその衣装、西陣織の衰退、華やかだった花魁の時代が終わった今となってはその反動の様に一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。大森ばあさんと共にツアー行程にあるホテルでバスを下車し、皆と別れ、タクシーで宿に帰った。 9時、下戸の2人を残し、酒飲みの渡辺君と2人で街に繰り出した。近くにあった町や風ビストロに入り、丹後の赤ワイン1本、ツマミ5品ほど頂いたが5000円でお釣りが来てビックリ!した。ツマミは普通の味だったが、丹後ワインは初めて頂いたが、お値段のわりには中々上等、ワイン通の渡辺君もウン!と頷いていた。
お薦めである。
10時30分、タクシーで祇園に向かい、花見小路入り口で下ろしてもらった。夕方バスから観た通りである。夜の京都を堪能すべく、密かに舞妓さんに出会える事を祈りつつ漫ろ歩いた。少し歩くと、タクシーが止まるお茶屋のガラス戸が開き「おかあさん、おおきに♪」「おはようおかえり♪」と、ハンナリとした京都弁が聞こえ、黄色の着物を着て、だらりの帯をした舞妓さんとバッタリ!何とも幸運であった。京都に50人程しかいない、ホンマもんの舞妓さんに出会えたのである。仄かに暗い木造家屋をバックに、着物の舞妓さんが浮かび上がり、なんともい得ない素敵な雰囲気に、思わず見惚れてしまう男2人であった。おお京都、なんと素晴らしい街だ。
飲み足りないので1パイ出来る所を探した。玄関にスタンドを立て、メニューに照明を当ててある、見ると料金も高くない。和風スナック的雰囲気に誘われる様に暖簾をくぐった。突き当たりにエレベーターがあり、2階に上がった、標準語で「いらっしゃいませ~♪」の声が掛かり、案内されて座敷のカウンターの前に座った。コテコテの京都弁での挨拶を期待していたが、カウンター内の舞ちゃんは殆ど標準語に近く、チョットがっかりであった。舞ちゃんと色々と話をした中で、関東人の認識の中にある「一見さんお断り」のしきたりは、長い歴史の中で必然的に出来た京都人の知恵ではないか。また、お客の立場からすれば、お茶屋の馴染み客となる事は、仕事はもちろん、氏素性、マナーもきちんとしていると認められたという事であり、京都の経済人の間で、お茶屋で遊ぶことが一つのステイタスになっているのではないか。だから「信頼出来るお客様の紹介が必要なのだ・・・」と。したがって財布がなくても遊べて、支払いはお茶屋の方が月末に集金して
くれるシステムだそうだ。
京都では「白タビに逆らったら生きていけない・・・」と言う話があるそうだ。1.置屋のおかみさん 2.お坊さん 3.茶道家元 だそうだ。そう言えば、皆白足袋を履いている。 家、会社の祝い事等に、舞妓さん、坊さん、家元さんに並んでもらう、これもステイタスなのだそうである。他にお客様もいなかったので、話をながら一杯また一杯と重ね、2人で合計11杯もWでやってしまった。2時間程いたであろうか楽しい京都の夜であった。
10日、9時、ホテル西山を出た。MKタクシーが迎えに来ていた。京都観光の一つの隠れた名所?名車?MKタクシーに乗る事もかねてからの希望であった。思ったとおり、料金、マナー、言葉使いなど、さすがに教育が行き届いておりお客様をもてなそうというホスピタリテイーが出来上がり、日本一の観光地に相応しい会社だ。1日、MKさんを貸切る事にして、京都御所に向かった。 御所参観は今回の旅行のメインだった。一年の内で御所にフリーで入る事の出来る日は春と秋の年2回だけで、後は宮内庁にお伺いを立てなければ入る事が出来ないのだ。 丁度、今回の旅行日が一般参観が出来る日と合致したのでメインに据えたのだった。御所はとにかく広い、京都の一等地に東京ドーム幾つ分あるのだろうか?御所を囲む塀とタクシーを併走しながら思った。9時を少し回ったばかりだというのに駐車場は観光バスで3割程埋まっていた。
御所の正殿ともいわれる「紫宸殿」は、即位の大礼など大儀が行われるところで檜皮葺、総桧造りの清楚な感じの建物だ。また「清涼殿」は、天皇の日常の住居だったそうです。そのほか、小御所、御学問所、御常御殿など典雅な建物が並び建ち平安朝のムードを今に伝える優雅な佇まいだった。建物も素晴らしいが庭園が凄かった。一木一石が銘木、銘石の集まりで、名のある名工が金には関係なく集め、時間を掛けて創り上げたものだろう。後で観たお寺の庭が、何か影が薄く見えてしまう、困った後遺症が残こされてしまった。
御所御庭池
次に向かったのが、京都市北区の大徳寺。 山門が金毛閣と呼ばれ、利休がそれまでできていた唐様山門の上に「金毛閣」を造り、自分の木像を置いたために秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたという話は有名だ。この寺の境内も京都五山十刹に数えられるだけあって、とにかく広かった。
金毛閣 大徳寺庭園
ドライバーの須永さんに面白い所を訪ねると「しょうざん庭園」に案内してくれた。庭園は北山台杉と紀州石とを贅沢に使って、楓と梅林とを巧みに配してある。数寄屋建築の屋根を支える、垂木材料(磨き丸太)をとるための北山台杉は切った後の株から出た新芽が真っ直ぐに天に向かって伸びる、その様子が優雅で数奇屋造りの家と調和し人気があるようだ。台杉の林の中をそぞろ歩くということはふつう一般には味わえない。樹齢四百年という古木を混えた北山杉の中に遊歩道があり、パインツリーの庭内にも1本植えてあるので親近感が沸き、とても居心地の良い場所であった。
しょうざん庭園
12時を回り、須永さんに紹介された西陣の料亭”萬重”に入った。
以上が”萬重”の食事だが、あまりの美味しさに1品、鯛頭の炊き物を撮影するのを忘れてしまった。食欲に負けてしまう自分が情けない。 「美味しさに 撮影忘る 京料理」 2時間を掛けての食事であった。 午後から源光庵を訪ねた。本堂には丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」があり、どちらからも庭園を眺めることができ、有名な血天井は落城した伏見城から遺構されたもので、手足の跡が天井板に残っていた。
等持院は足利氏の菩提所で足利15代の将軍の木像が祭ってあり、庭は夢窓国師の作だ。
等持院 夢窓国師作の庭園
次に訪ねたのは龍安寺だ。伽藍の入り口石段を覆う様に紅葉が生い茂っている。緑に萌える葉が、差し込む逆光に照らされ輝きをまして、とても綺麗だった。秋の、赤く燃え上がった紅葉の時期に、また来たくなった。石庭は超有名だが、寺の奥にある徳川光圀の寄進と言われる銭型のつくばいは、真ん中の四角を漢字の口に読むと”吾唯足知”となり、(ワレタダタルヲシル)と読み、禅の格言「無言の悟道」だそうだ。
つくばい おかめ像
最後に向かったのは大報恩寺だ。1227年上棟の本堂は、応仁の乱や戦乱を奇跡的に免れた京都最古の建造物で国宝だ。また、建造中に夫である棟梁の窮地を救い自刃して果てた「おかめの物語」は、今日にまで伝承され寺の中に沢山のおかめ達が祭られていた。
タクシーを錦市場通り端で降り、買い物がてら縦断、漬物屋ですぐき等の漬物を買い求めた。出汁巻き卵、もち菓子、美味しそうな物が次から次に目に飛び込んだ。年を忘れ、おばちゃんの様に試食する。やはり、味の世界も何を食べても一朝一夕では出来ない洗練された歴史の味を感じざるを得なかった。京都の歴史1200年の凄さだろう。 観光都市京都。売店の店番の女の子まで自信に溢れた表情、MKタクシーの訓練を受けた一挙手一投足を眼の前にして、観光都市富士吉田市を標榜する我が市も、こう在りたいし、近づきたいものである。
駅ビルで夕飯を食べ、6時50分発の新幹線に乗り、家路についた。1泊ではあるが内容が濃く充実した旅であり、京都行の玄関を開けた旅でもあった。 次はいつ行こうかな!
9日、午前9:30分 積み立てをしている友人4人で車に乗り合わせ京都に向かい出発した。曇りではあるが、時折日が差し> まずまずの天気に安堵した。新富士から新幹線を使っての豪華旅行ある。 11:27分 新幹線に乗車
こだま413号 11:27~11:39 [12分] 6090 円 指 4490 円
静岡乗り換え ひかり151号 11:51~13:29 [98分] 333.4 km
13:29 京都着
修学旅行以来37年振りの京都だ! 京都が好きなのは解っていた。御膳に好きな物が乗れば、色々食べて、一番最後に残した物を味わって食べる、そんな性格だ。わざわざ遠回りをして、旅行の候補から京都を外す、そんな事が何回あった事だろう。今回は日程、予算、皆の希望が合致して外す訳には行かず、ついに来てしまった。京都駅に降り、地下街を抜け駅ビルのフロアーに立ち見上げると、まさにそこには京都の玄関、現代の山門、大伽藍の京都駅ビルがあった。
タクシーに乗り、宿に向かった。碁盤の目の街は時折、ビルとビルとの間に、古き事の気高さを誇り、自己主張するかの様に木造建築が建っており、そのアンバランスが京都らしく思えた。京都市中京区御幸町のホテル西山にネットで宿を取った。B&Bで7000円だ。カバンを置き、また車に飛び乗った。タクシーの運転手、中村さんと話をしている内に、まずは二条城に行く事になった、自由気ままな、お気楽旅である。駐車場から山門をくぐると、富士の裾野の稜線に似たラインを持つ屋根に見覚えがあり、城内に入り廊下を歩くと、只のキシミ音ではない上質な鶯廊下の鳴声を足の裏が覚えていた。37年の時の流れを楽しむ様に、歩幅を狭くし片足づつ交互に体重を乗せて歩いた。廊下ですれ違った観光客の視線を背中で感じた。
次に中村さんが案内してくれたのは洛北の原谷苑だ、市内の桜が終わっているのに、この丘の、紅しだれ桜は見事に咲き誇っており京都の桜を諦めかけていた気持ちが、一気に原谷苑のしだれ桜で満たされた。しだれ桜の下でビールを頂き、休憩しながら「割れしのぶ」に結った髪にしだれ桜のカンザシを付けた舞妓さんが居ないかと、目が探した。
原谷苑から仁和寺に向かった。4時30分を少し過ぎての時間で、駐車場は係りが閉め始めており車を停められなかったが御室、地元出の中村さんには関係なく、グルッと迂回し五重塔の近くの裏門から境内に入った。そこには京都で一番遅咲きと言われる「御室桜」が咲いていた。この桜は花弁が大きく昔、小学校の徽章で使われていた、桜のモデルだと中村さんが教えてくれた。手にすると確かに大きく、学帽に着けていた物と同じで、その大きさに感動した。
6時までに京都駅、烏丸口に到着出来れば良い事を告げると、中村さんは嵐山高雄パークウエイの三つ葉ツツジを提案してくれ、嵐山へ向かった。パークウエイ入り口を左に通り過ぎ、1分程走った先には一面三つ葉ツツジが咲き誇った西明寺の裏山があった。パークウエイを走ると、やはり三つ葉ツツジが道路の両側に、目を飽きさせる事無く咲き、繋がっていた。只の山岳道路もこんな演出があると嬉しいものだ。途中下車の休憩場所から眼下に見える保津川の流れ、トロッコ列車の軌道に再会を誓った。
嵐山から下り、大堰川に架かる
渡月橋を観た。堤、川、橋、料亭旅館人工物と自然の織り成すバランスがとてもマッチしており、とても気持ちがいい場所だった。夕方で多少込んではいたが中村さんは6時ジャストに烏丸口に車を着けてくれた。 さすが!プロの技である多少ではあるがチップを弾んだ。
6時20分、予定していたバスツアー「京料理と祇園島原」に乗車、合計12名のお客様であった。四条通りを右折し、花見小路通りに入ると、車窓にタイムスリップしたかの様に、時代が育んだ木造、京の風景が車窓に広がった。窓の下を、丁度通り過ぎた芸妓さんを観て、ドキッ!と、時めいてしてしまった。弥栄会館(祇園女子技芸学校の隣)で舞妓さんの舞を観た、3人の舞妓さんの 中で、黒い着物の「豆鈴」ちゃんが可愛く、指先がしなりが綺麗で印象的であった。
和風レストランで京料理?だそうな左を食べたが、幕の内弁当程度の代物で6900円のツアー代金では致し方ない所だろうか。今日、食べるから今日料理京で食べるから京料理!なんちゃって♪ 同じテーブルに向かい合って座ったおばあさんが楽しかった。大森さんといい76歳、千葉からの1人旅だ。宿も取っておらずの冒険旅行で話の中で父親が山梨出身、奇遇な事に同行の仲間に同じ名前の大森さんが居たりで話に花が咲き仲良しになってしまった。 宿を心配する大森ばあさんに、宿舎のホテル西山に電話して、営業をしてしまった。自分が76歳になった時も、かくありたいものである。
西陣会館のコーナーに小さな舞台が設えてあり、そこが花魁ショーの舞台であった。太夫がお女中の案内で、お供の女の子と歩く様は豪華絢爛ではあるがその衣装、西陣織の衰退、華やかだった花魁の時代が終わった今となってはその反動の様に一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。大森ばあさんと共にツアー行程にあるホテルでバスを下車し、皆と別れ、タクシーで宿に帰った。 9時、下戸の2人を残し、酒飲みの渡辺君と2人で街に繰り出した。近くにあった町や風ビストロに入り、丹後の赤ワイン1本、ツマミ5品ほど頂いたが5000円でお釣りが来てビックリ!した。ツマミは普通の味だったが、丹後ワインは初めて頂いたが、お値段のわりには中々上等、ワイン通の渡辺君もウン!と頷いていた。
お薦めである。
10時30分、タクシーで祇園に向かい、花見小路入り口で下ろしてもらった。夕方バスから観た通りである。夜の京都を堪能すべく、密かに舞妓さんに出会える事を祈りつつ漫ろ歩いた。少し歩くと、タクシーが止まるお茶屋のガラス戸が開き「おかあさん、おおきに♪」「おはようおかえり♪」と、ハンナリとした京都弁が聞こえ、黄色の着物を着て、だらりの帯をした舞妓さんとバッタリ!何とも幸運であった。京都に50人程しかいない、ホンマもんの舞妓さんに出会えたのである。仄かに暗い木造家屋をバックに、着物の舞妓さんが浮かび上がり、なんともい得ない素敵な雰囲気に、思わず見惚れてしまう男2人であった。おお京都、なんと素晴らしい街だ。
飲み足りないので1パイ出来る所を探した。玄関にスタンドを立て、メニューに照明を当ててある、見ると料金も高くない。和風スナック的雰囲気に誘われる様に暖簾をくぐった。突き当たりにエレベーターがあり、2階に上がった、標準語で「いらっしゃいませ~♪」の声が掛かり、案内されて座敷のカウンターの前に座った。コテコテの京都弁での挨拶を期待していたが、カウンター内の舞ちゃんは殆ど標準語に近く、チョットがっかりであった。舞ちゃんと色々と話をした中で、関東人の認識の中にある「一見さんお断り」のしきたりは、長い歴史の中で必然的に出来た京都人の知恵ではないか。また、お客の立場からすれば、お茶屋の馴染み客となる事は、仕事はもちろん、氏素性、マナーもきちんとしていると認められたという事であり、京都の経済人の間で、お茶屋で遊ぶことが一つのステイタスになっているのではないか。だから「信頼出来るお客様の紹介が必要なのだ・・・」と。したがって財布がなくても遊べて、支払いはお茶屋の方が月末に集金して
くれるシステムだそうだ。
京都では「白タビに逆らったら生きていけない・・・」と言う話があるそうだ。1.置屋のおかみさん 2.お坊さん 3.茶道家元 だそうだ。そう言えば、皆白足袋を履いている。 家、会社の祝い事等に、舞妓さん、坊さん、家元さんに並んでもらう、これもステイタスなのだそうである。他にお客様もいなかったので、話をながら一杯また一杯と重ね、2人で合計11杯もWでやってしまった。2時間程いたであろうか楽しい京都の夜であった。
10日、9時、ホテル西山を出た。MKタクシーが迎えに来ていた。京都観光の一つの隠れた名所?名車?MKタクシーに乗る事もかねてからの希望であった。思ったとおり、料金、マナー、言葉使いなど、さすがに教育が行き届いておりお客様をもてなそうというホスピタリテイーが出来上がり、日本一の観光地に相応しい会社だ。1日、MKさんを貸切る事にして、京都御所に向かった。 御所参観は今回の旅行のメインだった。一年の内で御所にフリーで入る事の出来る日は春と秋の年2回だけで、後は宮内庁にお伺いを立てなければ入る事が出来ないのだ。 丁度、今回の旅行日が一般参観が出来る日と合致したのでメインに据えたのだった。御所はとにかく広い、京都の一等地に東京ドーム幾つ分あるのだろうか?御所を囲む塀とタクシーを併走しながら思った。9時を少し回ったばかりだというのに駐車場は観光バスで3割程埋まっていた。
御所の正殿ともいわれる「紫宸殿」は、即位の大礼など大儀が行われるところで檜皮葺、総桧造りの清楚な感じの建物だ。また「清涼殿」は、天皇の日常の住居だったそうです。そのほか、小御所、御学問所、御常御殿など典雅な建物が並び建ち平安朝のムードを今に伝える優雅な佇まいだった。建物も素晴らしいが庭園が凄かった。一木一石が銘木、銘石の集まりで、名のある名工が金には関係なく集め、時間を掛けて創り上げたものだろう。後で観たお寺の庭が、何か影が薄く見えてしまう、困った後遺症が残こされてしまった。
御所御庭池
次に向かったのが、京都市北区の大徳寺。 山門が金毛閣と呼ばれ、利休がそれまでできていた唐様山門の上に「金毛閣」を造り、自分の木像を置いたために秀吉の怒りに触れ切腹を命じられたという話は有名だ。この寺の境内も京都五山十刹に数えられるだけあって、とにかく広かった。
金毛閣 大徳寺庭園
ドライバーの須永さんに面白い所を訪ねると「しょうざん庭園」に案内してくれた。庭園は北山台杉と紀州石とを贅沢に使って、楓と梅林とを巧みに配してある。数寄屋建築の屋根を支える、垂木材料(磨き丸太)をとるための北山台杉は切った後の株から出た新芽が真っ直ぐに天に向かって伸びる、その様子が優雅で数奇屋造りの家と調和し人気があるようだ。台杉の林の中をそぞろ歩くということはふつう一般には味わえない。樹齢四百年という古木を混えた北山杉の中に遊歩道があり、パインツリーの庭内にも1本植えてあるので親近感が沸き、とても居心地の良い場所であった。
しょうざん庭園
12時を回り、須永さんに紹介された西陣の料亭”萬重”に入った。
以上が”萬重”の食事だが、あまりの美味しさに1品、鯛頭の炊き物を撮影するのを忘れてしまった。食欲に負けてしまう自分が情けない。 「美味しさに 撮影忘る 京料理」 2時間を掛けての食事であった。 午後から源光庵を訪ねた。本堂には丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」があり、どちらからも庭園を眺めることができ、有名な血天井は落城した伏見城から遺構されたもので、手足の跡が天井板に残っていた。
等持院は足利氏の菩提所で足利15代の将軍の木像が祭ってあり、庭は夢窓国師の作だ。
等持院 夢窓国師作の庭園
次に訪ねたのは龍安寺だ。伽藍の入り口石段を覆う様に紅葉が生い茂っている。緑に萌える葉が、差し込む逆光に照らされ輝きをまして、とても綺麗だった。秋の、赤く燃え上がった紅葉の時期に、また来たくなった。石庭は超有名だが、寺の奥にある徳川光圀の寄進と言われる銭型のつくばいは、真ん中の四角を漢字の口に読むと”吾唯足知”となり、(ワレタダタルヲシル)と読み、禅の格言「無言の悟道」だそうだ。
つくばい おかめ像
最後に向かったのは大報恩寺だ。1227年上棟の本堂は、応仁の乱や戦乱を奇跡的に免れた京都最古の建造物で国宝だ。また、建造中に夫である棟梁の窮地を救い自刃して果てた「おかめの物語」は、今日にまで伝承され寺の中に沢山のおかめ達が祭られていた。
タクシーを錦市場通り端で降り、買い物がてら縦断、漬物屋ですぐき等の漬物を買い求めた。出汁巻き卵、もち菓子、美味しそうな物が次から次に目に飛び込んだ。年を忘れ、おばちゃんの様に試食する。やはり、味の世界も何を食べても一朝一夕では出来ない洗練された歴史の味を感じざるを得なかった。京都の歴史1200年の凄さだろう。 観光都市京都。売店の店番の女の子まで自信に溢れた表情、MKタクシーの訓練を受けた一挙手一投足を眼の前にして、観光都市富士吉田市を標榜する我が市も、こう在りたいし、近づきたいものである。
駅ビルで夕飯を食べ、6時50分発の新幹線に乗り、家路についた。1泊ではあるが内容が濃く充実した旅であり、京都行の玄関を開けた旅でもあった。 次はいつ行こうかな!
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