2005年4月16日土曜日

東北旅行

  平成17年4月11日~13日

 友人5人で東北旅行に行って参りました。毎年出掛けていますが、数年前から日程だけを1ケ月前に決め、すべての旅行計画を任されると云う、責任重大だが、その分楽しい旅行だった。旅行先は5人中3人が行った事が無い東北にした。まずは飛行機か新幹線の選択を迫られたが、仙台迄では飛行機を使うメリットが少ないので、新幹線を利用する事にした。また、中央道にて東京迄行くのか、新幹線が停止する三島駅へ迂回するか検討したが高速道路代、駐車料金、時間等を考慮すると、駐車料金が安い三島駅に軍配を上げた。

 6時30分、膨らみ始めた蕾の桜を背に、裾野市へ入ると桜の花が満開に咲いていた。会計係りの渡辺さんが、近所の旅行会社で手配してくれた切符を皆に3枚ずつ配った。三島→一関・三島→東京・特急券の3枚だ。自動改札で三島→東京の切符を1枚入れ通り抜け改ようよしたら改札の通行防止板が作動した。そう、都会に住み電車を利用される方だったらご存知の、2枚入れる事が出来なかったのだ。当たり前に皆が通り過ぎる改札の中で、1人だけその動きを止めるのは、なんとも恥ずかしい様な、また焦燥感、不安感に駆られながら、プラットホームで7時20分の「こだま」を待った。

 約1時間で東京駅に着いた。ホームから降り改札隣の上りエスカレーターが東北新幹線プラットホームでアクセスが良かった。 8時28分「はやて」に乗った。北上するにしたがい東京で咲いていた桜が段々と蕾んでしまい、日本列島の縦の長さを嫌が負うでも感じさせられてしまった。仙台で「やまびこ」に乗り換え、11時に一ノ関へ到着した。


 駅でタクシー2台に分乗し、トヨタレンタカーへ向かったが、タクシー代はトヨタ持ちで嬉しいサービスだ。手配済みのカーナビ付きエステイマを借り奥州路へと乗り出した。

  
         金色堂           中尊寺門             中尊寺

 中尊寺は藤原3代の菩提寺で、産出していた金を使った金色堂は質実剛健にして雅平泉は東日本の平安京の様相を呈していた。境内の讃衡蔵には清衡・基衡・秀衡の収蔵品が展示されており、華やかなりし頃が偲ばれた。

  
       浄土庭園      芭蕉の句「夏草や 兵どもが 夢の跡」  しそ寿司

 次に少し離れた毛越寺を尋ねた。境内の庭園は日本最古の庭園として知られ、NHKの「義経」タイトルバックに使われている。また、その中に白馬が松林と桜の中を走るシーンがあるが、その映像はパインツリーを右に3キロ程富士山方向に上った、中の茶屋近くで収録されたものです。ゴールデンウイークの頃には、丁度テレビと同じ様に咲き誇ります、閑話休題。

 一関インターへ向かいました。途中の食堂を「南部田舎屋」で摂りましたが、しそ寿司はすし飯の上に鯖の切り身が乗っているものを、しそで包んであり、しそ・鯖・す飯の味が良く絶品でした。今回は、一関インターから東北自動車道→山形自動車道→天童→東根ICと走りましたが、本来であれば古川ICで下りて、R347を通りたかったが、峠は豪雪地帯で除雪が済んでおらず交通止めになっており、倍以上の迂回になってしまった。東根ICで下り県道29号線で銀山温泉へ行こうとしたが山道に差し掛かると雪の量が一気に増え、ホテルに電話して尋ねると、やはり通行止めであった。しょうがなく尾花沢市から向かったが、雪の量が半端では無く市内から郊外に向かってドンドン増え、銀山温泉では道路脇に積み上げられた雪が1メートルを超えて、冬の厳しさ、雪との戦いを想像しただけで富士山麓に生まれた喜びと感謝の念を禁じずにはいられなかった。

  

 予定より1時間程遅れた夕方5時頃、銀山温泉に着いた。
車で宿を確認し、山間の銀山川を挟む様に佇む銀山温泉の街並みを観に行った。そこには大正ロマンを感じさせてくれる3階建ての木造旅館が並んでいた。電線も地中に埋設されてスッキリしており、浴衣と丹前を羽織り、番傘を差し、下駄をカランコロンと鳴らして歩きたい街だった。

  
                          
 戸袋のコテ絵とレトロな街灯はベストマッチングだ。藤屋の女将さんはアメリカから嫁いで来て、CMでお馴染みのジニーさんの宿だ。ヒョットするとジニーさんのお陰で銀山温泉が・・おっと、その前に脚光を浴びていた。20年前にヒットしたNHKの「おしん」で銀山温泉が舞台になったのだ。その頃から名前が脳に刷り込まれていて機会があったらと思っていたのが現実となったのだ。橋の欄干に手を置くと、欄干の丸い飾りが「おしん」の小林綾子ちゃんの、可愛くクリクリした目と重なった。  

  
       銀山荘            部屋窓辺の望遠鏡           岩魚の骨酒   
               
 この宿に泊まった。部屋に着くなり火災報知器の「ピー!ピー!火災が発生しました!」の放送がスピーカーから流れ、しばらくして「只今の放送は誤報です館内に火災は発生しておりません!」の、繰り返しを3度程して歓迎された。 宴会時、女将さんが挨拶においでになり、その旨をお詫びされ岩魚の骨酒をサービスして頂いた。久し振りの骨酒を美味しく胃袋に収めさせて頂いた。温泉は掛け流しの天然温泉、硫黄の匂いがして湯船の底からフワフワと湯の花が舞う、柔らかい湯だった。窓辺の望遠鏡は下を流れる銀山川に生息する鳥達を観る為に用意されたものだろうチョットした気遣いが嬉しい宿であった。

  -12日ー


 宿を9時にチェックアウトした。  

周辺の山々に一杯の雪を頂く尾花沢市を後に、東根ICから山形自動車道へ乗った。車は快適に走る、車内の話は盛り上がり下りるべき山形北ICを見落とし、車は菅生PA手前で予定にしていた「山寺」を、既に通り越した事に気づいた。今更、引き返す訳にもいかず皆に謝り松島へと向かった。

 菅生PAで販売していた牛タンの串焼き♪600円 さすがに牛タン焼き発祥の地 仙台!

  

 瑞巌寺を尋ねた。その伽藍は松島湾から150メートル程入った場所にあり、その近さに驚いた。日本3景の1っである松島を目の前に置く瑞巌寺を訪れた参拝者は、そのロケーションにさぞかし驚いた事だろう。外から見れば寺だが中の創りは城その物、秀吉> 家康に気を使った伊達家の配慮を感じた。

          

  

 松島湾を周遊クルージングを楽しんだが、島々が点在し散漫しており、またそのスケールも想像以下でチョッピリ残念であった。船の後ろを餌をねだりながら飛ぶカモメ達を至近距離で観て、瞳の輝き、白い羽の綺麗さの方が印象に残った。  昼食場所をインターまでの間に探した。道路沿いのしゃれたレストランではなく地元の人達が普通に食べている食堂だ。ナビを拡大して見ると新浜町に小さい魚港があった。県道を左折し港の方向へ左折した。倉庫、民家、冷蔵施設はあるが食堂らしきものが無い、逆Uの字に回って県道まで200メートル程の所に2軒並んで同じ様な食堂があった。タクシーが1台、乗用車が3台ある「みうら食堂」を選んだ。あたり~♪ こちら海鮮丼が 1500円 美味しかった! 


 

 帰りがけ、みうら食堂の気の良さそうな親父さんに周辺の観光情報を尋ねると塩釜神社を教えてくれた。行った見た、奥州一宮の名に恥じないお宮さんだった。しおがまさんの伽藍、歴史の規模は元より、境内から眼下に広がる松島湾を借景としており、素晴らしい神社だった。

  

 午後4時、秋保(あきう)温泉・ホテル左勘に着いた。ホテル100選に選ばれる大規模ホテルだ、中庭が素晴らしく記憶に残った。夕食に出された黒毛和牛のシャブシャブが絶品だったが、各棟の風呂は規模の大きいホテルの割りに小さく、軽く塩素の匂いがして温泉?という感じだった。

  -13日ー

  


 
 ゆっくりして、10時にチェックアウトした。青葉城跡は広瀬川に守られた青葉山にあり、攻め難い自然に守られた城と感じた。> 馬に乗り仙台の町を望む正宗公の像前で記念写真を撮り、降り始めた雨に追われる様に車に乗り込み、瑞鳳殿にて公の威徳を偲んだ。

   
  牛タン発祥の店「太助」         店 内          牛タン定食3枚

 仙台は牛タン発祥の地、リサーチを重ねると「太助」に到達した。折角の仙台である牛タン好きにとっては聖地、元祖を尋ねる他はあるまいと皆を説得、店を探した。ナビを駆使して仙台警察署近くを2周回った。進入禁止ばかりで入れない、食い気とは恐ろしい気迫で入り口を見つけ、交番で店の場所を尋ね、探し当てた。国分町(飲み屋街)のど真ん中であった。店は間口3間程の小さい店で、座敷にテーブル3卓、カウンターだけで、働き手は7人もいた。牛タン定食3枚を食べた1700円。麦飯、テールスープ、牛タンのセットだが自分の目を疑うほど枚数といい、1枚のボリューム・厚さがない。味は良かったが・・・。 トヨタレンタへ車を返し、仙台駅でみやげを買って帰路に就いた。薄いタンに思いを残して
    
 三島駅へ6時30分に到着、夕飯にうなぎは・・の提案が一同賛成で可決され「桜屋」へ向かったが、残念!お休みで「うなよし」へ行った。何年振りだろう、随分ご無沙汰であった。上を注文し食べた”旨~~~い”、やっぱりうなぎは旨いのだ。 仙台牛タンの恨みを三島のうなぎで締め、2泊3日の旅を終えた。

2004年10月15日金曜日

島田の帯祭り

 平成16年10月11・12日

 11・12日 商工会議所観光サービス部会の研修旅行で、静岡県島田市の「 帯祭り 」を観に行って参りました。 毎年行われている研修旅行先の選定で候補に挙がり「 島田の帯祭り 」我が富士吉田市の「 吉田の火祭り 」愛知県稲沢市の「 国府宮の裸祭り 」の三つの祭りは日本三奇祭として並び称されており、観光サービス部会員たるもの一度は観ようとなった訳です。

      

 11日は雲行きの心配になる午前8時の出発でした。22号台風が行き、晴天が続くと思っていたら、毎日がハッキリしないお天気に祭りの催行が心配された。10時30分、予定より早く島田市博物館に到着、坂巻学芸員より、祭り、島田宿、大井川の川越し文化のレクチャーを受けた。丁度、静岡県立美術館の移動美術展が開かれていて以前より観たかった絵画、和田英作の「富士」に出会う事が出来、思いがけなくて嬉しかった。昭和20年頃の作品で、富士吉田市上吉田から観る着雪した富士が描かれており、写真で見たより絵より富士が輝いて見えた。博物館にて研修後、近くにある川越し遺跡を見学した。


   
    川 会 所           川越し文化保存地域の街並み 

 島田は大井川の側にあり、大井川が無くてはならない町で、それにより町が発展し川越し文化が育まれた町だ。大井川が増水すると川留めになり、水が引き、渡る事が出来るまで宿場で待たされた。  「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」そういった際、持て成す住民と旅人との交流が生まれ川越しの文化として醸成されたのでは
ないだろうか。

      
    大井神社入り口             境  内                大井神社 

       
      
    帯祭り 先頭             大 名 行 列    


      
                                          大鳥毛(おおとりげ)   
 大鳥毛は重さが30キロ程あるそうだ、その軸を回転させ仲間に向かって放り投げ、鳥が羽を広げた様に扱う若者は額に大玉の汗だ。 

      
     大 奴(おおやっこ)



      
          


      
               神 輿 渡 御            



      
                                鹿 島 踊 り

   

   
                  長 唄 屋 台 踊 り

 優雅にして雅  時間が止まってしまったと思ってしまう程ユッタリと進む大名行列。3年に一度、開催される祭りの為に祭講(貯金会?)まであると聞いた。子供達の行列に付き添う親も着飾り、和服を着付けていた。これ程沢山の正装した女性を見たのは成人式以来かもしれない。馬に乗るのは幾ら、屋台に乗るには幾ら等、色んな仕来たり、決まり事があり、昔から今まで脈々と継承されており、屋台に乗ったり、馬に乗ったりした事がこの地域の住民の大切なステータスとなっているのではないだろうか。時間が無く、聞く事が出来なかったが、屋台上には東京から親交のある長唄のお師匠さんを呼び、祭り期間中披露をお願いをしたり、子供に着せる着物を、上京し有名歌舞伎役者が子役時代付けていた物を借りて来たりするそうだ。この様な事が出来るのも川越しの時代から続いて来た良き伝統のなせる業なのだろう。

      
                             龍 譚 寺
 館山寺温泉 ホテルエンパイアへ向かう             京都の寺と見紛う見事な庭園

      
                      左 甚 五 郎 作 

      
    竜ヶ岩洞                可 睡 斎
 2億5000年前からの奇跡           寺の名前が家康の安眠から付けられた。   

      
 火伏せの神様・秋葉不動尊可睡斎
                  
      
 可睡斎本殿彫り物                           掛川城 城主・山之内一豊
日光東照宮本殿の彫り物 

 龍譚寺・可睡斎共に徳川家の加護を受け威光を放つ伽藍だ。棟にある鬼瓦には三つ葉葵がしっかりと刻み込んで焼かれてある。左下の写真は数年前に尋ねた日光東照宮本殿入口左右にある出梁に施された龍の彫り物だが、良く似ているので、徳川家のお抱え彫師の作か?などと推測してしまった。ま、ともあれ神社仏閣は心が休まるので好きな場所である。   

 日本三奇祭の二つを尋ねて思った事は、良い祭りには郷土の歴史があり、培われた誇りがある。だが、その一方で、世の中の変化するスピードに付いて行けず縮小され、祭りの悲鳴さえも聞こえて来る。祭りは地域住民老若男女の心を一つにし、心躍らせてくれる大切な行事だ、出来るだけ存続をしなければいけないと思う。「島田の帯祭り」良い祭りに出会えた事に感謝。