商工観光サービス部会・伊勢研修旅行 平成25年7月2~3日
富士吉田市商工会議所・観光サービス部会のメンバー11人を乗せたバスは、午前7時、梅雨空の
厚い雲に覆われた富士吉田を出発した。
バスは御殿場から新東名高速を走った。
途中、駿河湾沼津SA・仮谷ハイウエーオアシスへ立ち寄ったが、どちらのSAも築1年、ペンキの匂いがまだ残っていそうな感じのする新しい建物で、仮谷SAの観覧車と透明硝子の壁に小便器が並ぶトイレがユニークだ。
12時半、松坂の”西むら”で焼肉昼食。焼肉にはビールが付き物だが研修があるので、こちらはパス。ルービ抜きでの寂しい食事であったが、食べた肉はどれも美味しかった。予定よりも30分遅れ2時、伊勢商工会議所へ到着すると建物の外で職員3人が待っていてくれた。
案内され会議室へ入ると、プロジェクターで映されている画面は見覚えのある山中湖から撮った。写真で、そこには「歓迎 富士吉田商工会議所観光サービス部会ご一行様」と書かれており、いきなり心を鷲掴みされ、気持ち良き心地となった。
中村専務理事が伊勢会議所の取り組み”商工から笑幸へ”と題してお話してくれた。
お伊勢さんを案内してくれるガイドが6年目を向かえ83人が登録しており、昨年は4400人をご案内しガイド料が1人あたり7~8万円貰えるようになったそうだ。会社をリタイヤし、人様の役に立つアルバイトが出来れば、老後の楽しみとして張り合いにもなる。富士山が文化遺産となった今”おもてなし(市)”を標榜する富士吉田のガイドは現在不足している、早急に富士吉田も何とかしないといけない。
20年に一度の式年遷宮(内宮・外宮にある鳥居から手水舎、拝殿まで新しくする祭り事)には観光客が半年で600万人以上訪れているそうだ。これだけの人が来ている伊勢だが観光振興の取り組みも行っており、外宮・まちなか誘導事業・観光案内人事業・外宮奉納市事業・かざすCITY事業・神宮125社観光資源化事業があり、どの事業も上手く回っている感じがした。特に、後で
案内してくれて、外宮周辺の再開発現場を見たが空き店舗が無く富士吉田と比べ羨ましくも感じた。
かざすCITY伊勢は、携帯端末を見たい方向にかざすと携帯の中に説明やお店が出て来ると云うものだが、バスの中でやってみたが出来なくてアプリケーションのインストールに多少問題があるようだ。奉納市は他人の褌で相撲をとっちゃう企画、全国の物産を会議所を通し外宮へご奉納させ、その業者には奉納証明書・奉納ラベルが貰える仕組み。奉納市がある時には、また業者が参加し伊勢に来る来れば泊まりもするだろうし、近隣のものであれば食事もする。素晴らしい人集め企画で伊勢だから出来るワザかもしれない。
1時間のお話だったが、あっと云う間に過ぎてしまった。
お見送りを頂きバスに乗り込むと事務局長の増田さんもバスに乗り込み車の中から町を案内してくれ、遷宮館見学までお付き合い下さった。これだけ歓待されたのは初めてで、伊勢のお客様を持て成すホスピタリテイーの高さを、嫌が上でも感じさせてくれた。これは、昔から遠路を伊勢まで来てくれた、お伊勢参りの客を持て成す伝統がなせる業なのだろか・・・バスを見送る増田さんに感謝して手を強く振った。
遷宮館で遷宮とは何ぞやと、前説の勉強をしたが40分では足りない。お伊勢さんは、やっぱり凄過ぎ!見学に時間が足りず集合時間をオーバー、慌てて待ち合わせ場所に戻った。参道の砂利を踏みながら歩いていると知らぬ間に胸を張り背筋が伸びてくるのは自分だけなのであろうか・・・。しばらく歩くと20年前に造られた拝殿が見えて来る、その隣には殆ど完成した新宮が並び、この景色が見られるのは後20年後になる。次回来れば83歳、果たして、その時まで生きていられるだろうか?そんな事を考えるとツイツイかしわ手を打つ手に力が入った。
鳥羽港を望む山肌にそびえる様に建つ宿”戸田屋”へ5時チェックイン9階の部屋に入った。
収容人員1000人近く入る事が出来て、13の露天風呂、プール、プライベートビーチを持つ巨大ホテルだ。 愉快な事があった。宴会が終わり、いつものように2次会で館内”スナック 酔夢”へ行った。
40分程経った頃、20名ほどのオジさんグループが入って来た。交互に歌っている内時間となり、やおらメンバーの奥脇さんがマイクを手に喋りだす「私達は先日世界遺産になった富士山の麓から来ました・・アカペラで吉田音頭を歌いますので聞いて下さい」皆で合唱し、オジさんグループから拍手を頂いた。
するとどうだ、2人がツカツカとやって来て1人が帯を解き出し、合わせの間からサルマタも見える。片方の足で帯の片方を踏み、帯の片方を引っ張り上げて手漕ぎ船の艪(ろ)を演出、格好も決まる。「貝殻節を歌います!」と、船をこぐしぐさをしながら歌い上げた。思いも寄らぬ夜の交歓会と、もう盛り上がった。勿論、別れ際、事務局は名刺交換したのは云うまでも無い。あ!そうだ相手側のオジさん達は鳥取県智頭町森林組合のご一行様でした、楽しい夜をありがとうございました♪
10時半には寝てしまった。歳を取ると朝も早い、違う!こりゃ習慣からだが・・・4時に起きてしまった。暗闇で用意したカメラを探し窓際で夜明けを待つ、海から昇る陽の出を待ったが雲が厚く焼けない。カメラのISO感度を3200まで上げてコンデジで撮ってみたら、夜の雰囲気を醸した良い感じの写真が撮れて満足した。同じ場所で撮ったが昼と夜では、まったく違う出来上がりになった。女将さんを含む総勢15名に送られ8時半、戸田屋さんを後にした。
最初の訪問地は二見ケ浦だ。バスを二見シーパラダイスに止め、一向は海岸縁の歩道を歩いて向かった。今回で3度目だろか?3年前にも来たが今回は様子が変だ、以前は進行方向の左に見えたが、このまま向かうと右に見えるはずだ。すると、やっぱり右手に夫婦岩があり、その奥に神社があった。やはり岩の後ろ側から来た感じがする。以前来た時は旅館街を通り過ぎ、左に海を見て歩いた記憶に間違いはなかった。どうでもいい話だが・・・。冬、空気が澄んで条件の良い時、夫婦岩の向こう側に御山が見えて頂上から陽が昇る時があると云う、機会があったら撮ってみたいものだ。社務所の脇に写真が飾ってあったので1枚、失礼して頂いた。
その後、内宮へ向かった。見覚えある緑の杜、新しくなった鳥居と橋、バス駐車場の隣では新しい路面電車型バスのお披露目セレモニーが行われていた。
神宮の社殿は日本国のはじまりを象徴し、それを永遠に守り伝える役を担っており、二十年に一度の遷宮は、すべてを若返えさせる仕組みであり、未来へ繋げていく為のいにしえより続いて来た日本人の叡智と感じた。
世界中に遺跡や遺産と呼ばれるものは沢山あるが、今も年間六百万人を超える方々が訪れる神宮は遺産や遺跡ではなく、世界遺産と呼ばれるものを遥かに超えるものである。千三百年を超える歴史を持ち、それを脈々と今に伝える伊勢神宮は日本人の誇りそのものなのだ。
神宮の杜を歩き、拝殿に参拝した帰り道、五十鈴川に掛かる宇治橋を渡りながら左手の緑深き杜に、はためく巨大な日の丸を見て、胸が熱くなったのは私だけであろうか・・・。
おはらい町通り、おかげ横丁を散策、赤福本店で土産を買った。
3年前、同級生の団体旅行で来た時食べられなかったものに挑戦、海老丸でサメ・ウツボを食しふくすけで伊勢うどん、すし久で手こね寿司を食べたがダイエット中の身、うどんも寿司も残したのは云うまでもない。旅に出たら地元の方が食べているものを食する事を信条にしているものとしては3年前に残した思いを遂げる事が出来て良かった。
20年に一度、すべてが新しくなる式年遷宮。パインツリーは開店から16年を経過した、ぼつぼつ新しい世代とバトンタッチの準備に掛からねば・・・。
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