富士吉田市商工会議所観光サービス部会
茨城県国民宿舎「鵜の岬」研修旅行 平成24年6月10~11日
3月の観光サービス部会定例会に於いて、6月に行われる研修旅行の行き先を
検討した結果、提案させて頂いた茨城県国民宿舎「鵜の岬」に決まった。選んだ理由は
国民宿舎ではあるが利用率を22年間連続で全国第一位を続けられる理由・秘訣を探って
見たかったのである。
------ 10日 ------
午前7時、観光サービス部会会員13名を乗せたバスは会議所を出発した。
何度かサービスエリアで休憩し、10時にJAXA(独立行政法人 宇宙航空研究開発機構)へ
到着した。
建物の脇には本物のH-IIロケットが横たわり弥が上にもテンションは上がった。
だが、残念な事に、この日は月曜休館日で宇宙飛行士コース・宇宙ステーションコース
ロケットコースの3コースはお休みで、展示館「スペースドーム」だけが見れた。
スペースドームに入ると人口衛星やロケットエンジン、日本宇宙実験棟
「きぼう」の模型もあり、その規模の大きさに驚かされる。特に、翼のように
広げられた太陽電池パネルは巨大な大きさで、こんな物が秒速9キロで空の
上を飛んでいるなんて信じられない。しかしながら冬の早朝、富士山を
撮影していると、星より輝きながら飛んでいる姿を何度も見た事があるので
感慨深く見込んでしまった。
昭和30年、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川博士が
ペンシルロケットを飛ばしてから50年、小惑星「イトカワ」へ向けて2003
(平成15)年5月9日に打ち上げられた「はやぶさ」は、目標の「ITOKAWA」に
到着し、科学観測を実施しました。その結果、重力や表面の様子など、小惑星に
ついての数多くの新たな発見がありました。「はやぶさ」は2010年6月13日に
地球へ帰還し、搭載カプセルをオーストラリアへ落下させ、その役目を終えました。
「ハヤブサ」を飛ばし、そして帰還させたJAXA。その「ハヤブサ」の
二分の一モデルが目の前に・・・感動の瞬間だった。気になっていた姿勢制御
装置が小さく、メインエンジンも小ぶりで驚いた。
また、70インチ位あっただろうか?TVモニターで月のハイビジョン映像が
流れていた。家のTVで見た事はあったが、その鮮明さに驚いた。係りの方に
飛んでいる高さを聞いたら、月の100キロ上空を回っているとの事だった。
月の表面に当たった隕石の跡や大きさ、舞い上がった砂の跡まで見えて実に
興味深い。
毎月一回来る満月。満月を真珠に例えて、富士と月を撮った写真を
「パール富士」と呼び、条件の合う日、富士山への月の出入りを毎回撮っている。
TVを見ていたら、その月から見た地球が、月の大地の向こう側に昇って来る
シーンに出会った、感動である。本物は綺麗だろうな~!
つくば山水亭 で昼食をとった。枯山水が見事な庭園。
吉田正音楽記念館
吉田正、偉大な作曲家である。昭和の音楽を語る時、先生の音楽を抜いては語れない
偉大な作曲家だ、生涯に作った曲は2400曲とも云われ、カラオケを何曲もソラで
歌えるほど知っている。館内壁にタペストリーのように飾ったレコード・ジャケットの
中には買って持っているものもあり、もう何十年も聞いておらず随分懐かしかった。
この施設が、何と無料!吉田正先生も家族も、太っ腹!やっぱり偉大だ♪
茨城に出掛ける昭和生まれの方は是非、一回はお訪ね下さい、お薦めです。
国民宿舎”鵜の岬”
16時、定刻に宿舎に到着した。8階建て、かなりりデラックスな建物で
コストパフォーマンスを考えれば民間では、こんなに金を掛けられないだろう。
1階の会議室に案内され、今回のメインイベントである塙氏の講演を聞いた。
「日本一の秘訣」を探ろうと、はるばる茨城の鵜の岬を訪ねて来たのだ、最前列に陣取り
耳を傾けた。当初は、これだけ立派な施設だからできるのだろうと思っていたが違っていた。
エレベーターもない鉄筋建物だった平成初期の頃も、すでに「日本一」だった。立派な施設は
何も関係ない。その秘訣とは、一朝一夕には出来ない地道な努力だった。
笑顔、態度、マニュアルの徹底、臨機応変な対応、サービス業のプロとして教育。
「地元優先」の理念。職員は、必ず地元の高校から採用し、職員全員が地元に住民票を移した。
地元に愛される”鵜の岬”を目指した。住民の参加出来る祭りを作り会場も提供し、地元向けの
商品も企画し、地元のお年寄りを招待し、地元に愛される宿作りを徹底してきた。
タイ米が流行った米不足の時に地元の農家が格安で米を分けてくれたり、東海村のJCO事故が
起きた時にはキャンセルが相次いだが「こんな時だから」と地元の客が泊まってくれ、空室は
わずかだった。苦しい時、温かい手を差し伸べてくれる地元に愛されている宿”鵜の岬”
宿泊客の履いてきた靴を帰るまでに磨き上げたり、具合の悪くなった宿泊客には病院まで同行
するなど、地元出身の若いスタッフを中心とする「自然体のホスピタリティ」に徹したことが
成功の秘訣なのかもしれない。
接客においてマニュアル以上に重要なのは、そこではたらく人々が「自分のお客様だ」という
共通認識を持つ事です。
宴会が終わった後、カラオケを歌いに喫茶・スナック「岬」へ出掛けた。
カラオケを歌う雰囲気ではなく、どちらかと云えば喫茶店のような店だ。2名の女性の
係がいて、それなりの愛想だ。本で歌いたい曲を選び、紙に書いて渡す、昔タイプの
カラオケだ。9時を回ると店内のボックス席は粗、満席になった。
どこにでもいる小柄なオバちゃんがお酒を飲んでノリノリ、即興でリズムに乗って踊る。
結構上手で、生前、こんな感じに踊った母親を思い出して眺めていた。別に熱い視線を
投げ掛けていた訳でもない。それが・・・踊りながら指を指し近づいて来て、なんと
ボックスシートに座っている私の膝にお尻を向けて座った。一緒に行った皆さんには
大受け!大爆笑である。歳の頃は65~70歳と見た、邪険にも出来ず、そのまま
約1分・・・以上かも知れない。膝の上でグルグルとグラインドまでする始末、皆大笑い
私は冷や汗。何故?って、痛いのである。体感した。歳を取ると肉が取れて骨ばんで
来るのだ。飲みに行き若い娘に膝の上に座られた事があるが、オバちゃんは初めての経験。
痛い思いと貴重な経験をさせて頂き、眠れぬ夜?の「鵜の岬」であった。
------ 11日 ------
カシマサッカースタジアム 鹿島神宮
鹿島神宮宝物殿に納められている奈良時代に鍛造された直刀は271センチの長いもので
こんなに長い刀を見たのは初めてで、優れた鍛造技術に舌を巻いてしまった。また、刀は
刃を上に向けて腰に差すものを刀と呼び、刃を下に向けて紐で下げるものを太刀と呼ぶ
のだそうである。また、一つ勉強になった。
潮来前川十二橋めぐり
おばあちゃん船頭の小さなサッパ船に12人が乗り込み潮来前川十二橋めぐりへ
出発した。運河の前で10分程待つと中へ、水門が空き、観光客を乗せた2艘の
サッパ船が出て行く。入れ替わりに入り、50センチという水位を調節、水門が開き
川幅は4メートルもあろうか、竿を使って船を巧みに操る。
所々色んな花が咲き、目を楽しませてくれてはいるが、まだまだの感がある。
折角の非日常体験なのだが、観光客にもっと上手に見せる工夫が足らない気がした。
今回訪ねた”鵜の岬”は71年5月にオープンし、89年から連続22年「宿泊
利用率日本一」の人気を誇り、97年に鉄筋コンクリート8階建て(宿泊定員204人)と
なったが宿泊客の人気が高く、現在も連日満室の状況が続いている。”鵜の岬”から
50キロ圏内に常陸大宮市4,4万・那珂市5,5万・高萩市3万・北茨城市3万・
ひたちなか市15,7万などがあり、30万を超える人口が周囲にある。また、やっかみ
半分ネットで周囲にある宿泊施設を調べたら立地、施設等で”鵜の岬”を超える宿は
見つからなかった。
いずれにしても、宿を営む者として宿泊利用率日本一は羨ましい限りである。
羨んでいないで、追い付いて行けるよう頑張ろう!
お忙しいところ時間を作り、講演して下さった塙吉七氏に感謝。