2004年10月15日金曜日

島田の帯祭り

 平成16年10月11・12日

 11・12日 商工会議所観光サービス部会の研修旅行で、静岡県島田市の「 帯祭り 」を観に行って参りました。 毎年行われている研修旅行先の選定で候補に挙がり「 島田の帯祭り 」我が富士吉田市の「 吉田の火祭り 」愛知県稲沢市の「 国府宮の裸祭り 」の三つの祭りは日本三奇祭として並び称されており、観光サービス部会員たるもの一度は観ようとなった訳です。

      

 11日は雲行きの心配になる午前8時の出発でした。22号台風が行き、晴天が続くと思っていたら、毎日がハッキリしないお天気に祭りの催行が心配された。10時30分、予定より早く島田市博物館に到着、坂巻学芸員より、祭り、島田宿、大井川の川越し文化のレクチャーを受けた。丁度、静岡県立美術館の移動美術展が開かれていて以前より観たかった絵画、和田英作の「富士」に出会う事が出来、思いがけなくて嬉しかった。昭和20年頃の作品で、富士吉田市上吉田から観る着雪した富士が描かれており、写真で見たより絵より富士が輝いて見えた。博物館にて研修後、近くにある川越し遺跡を見学した。


   
    川 会 所           川越し文化保存地域の街並み 

 島田は大井川の側にあり、大井川が無くてはならない町で、それにより町が発展し川越し文化が育まれた町だ。大井川が増水すると川留めになり、水が引き、渡る事が出来るまで宿場で待たされた。  「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」そういった際、持て成す住民と旅人との交流が生まれ川越しの文化として醸成されたのでは
ないだろうか。

      
    大井神社入り口             境  内                大井神社 

       
      
    帯祭り 先頭             大 名 行 列    


      
                                          大鳥毛(おおとりげ)   
 大鳥毛は重さが30キロ程あるそうだ、その軸を回転させ仲間に向かって放り投げ、鳥が羽を広げた様に扱う若者は額に大玉の汗だ。 

      
     大 奴(おおやっこ)



      
          


      
               神 輿 渡 御            



      
                                鹿 島 踊 り

   

   
                  長 唄 屋 台 踊 り

 優雅にして雅  時間が止まってしまったと思ってしまう程ユッタリと進む大名行列。3年に一度、開催される祭りの為に祭講(貯金会?)まであると聞いた。子供達の行列に付き添う親も着飾り、和服を着付けていた。これ程沢山の正装した女性を見たのは成人式以来かもしれない。馬に乗るのは幾ら、屋台に乗るには幾ら等、色んな仕来たり、決まり事があり、昔から今まで脈々と継承されており、屋台に乗ったり、馬に乗ったりした事がこの地域の住民の大切なステータスとなっているのではないだろうか。時間が無く、聞く事が出来なかったが、屋台上には東京から親交のある長唄のお師匠さんを呼び、祭り期間中披露をお願いをしたり、子供に着せる着物を、上京し有名歌舞伎役者が子役時代付けていた物を借りて来たりするそうだ。この様な事が出来るのも川越しの時代から続いて来た良き伝統のなせる業なのだろう。

      
                             龍 譚 寺
 館山寺温泉 ホテルエンパイアへ向かう             京都の寺と見紛う見事な庭園

      
                      左 甚 五 郎 作 

      
    竜ヶ岩洞                可 睡 斎
 2億5000年前からの奇跡           寺の名前が家康の安眠から付けられた。   

      
 火伏せの神様・秋葉不動尊可睡斎
                  
      
 可睡斎本殿彫り物                           掛川城 城主・山之内一豊
日光東照宮本殿の彫り物 

 龍譚寺・可睡斎共に徳川家の加護を受け威光を放つ伽藍だ。棟にある鬼瓦には三つ葉葵がしっかりと刻み込んで焼かれてある。左下の写真は数年前に尋ねた日光東照宮本殿入口左右にある出梁に施された龍の彫り物だが、良く似ているので、徳川家のお抱え彫師の作か?などと推測してしまった。ま、ともあれ神社仏閣は心が休まるので好きな場所である。   

 日本三奇祭の二つを尋ねて思った事は、良い祭りには郷土の歴史があり、培われた誇りがある。だが、その一方で、世の中の変化するスピードに付いて行けず縮小され、祭りの悲鳴さえも聞こえて来る。祭りは地域住民老若男女の心を一つにし、心躍らせてくれる大切な行事だ、出来るだけ存続をしなければいけないと思う。「島田の帯祭り」良い祭りに出会えた事に感謝。

2004年7月7日水曜日

北海道道東旅行

=平成15年7月2~4日 北海道道東旅行・地図

  ー2日ー 
 午前8時、家を出発した。旅行だからと、取り立てて朝早く出掛ける必要も無いので、フライトはJAS10時55分発、釧路行きにした。なんて事は無い、最近は体力が無くなったので、睡眠を削る早朝の出発は体に堪えるのである。夫婦二人だけの旅、家を出るのも旅行の目的の一つなのだ。 羽田の駐車場は 楽々パーキング を利用した。3日間で4000円弱で安い。車を置き空港まで約5分の立地だが、帰路は空港をグルッと回され15分程掛かってしまった。コレだけがネックだが料金の事を考えれば致し方ないか。定刻の飛行で快適であった。
    
 釧路空港        塘路駅        カヌークルーズ       釧路川   

 釧路上空は高曇りだが、雨は落ちてなかった。予約したレンタカーを借り 塘路ネイチャーセンター へ
カーナビを操作して向かった。1時間程で着いた。受付を済ませガイドの加藤君とドライバー君と共に釧路川上流に向かい、小さな入江にカヌーを下ろした。パドルを漕ぎ、カヌー進めると、川面を渡る風の囁き、水の流れる音、鳥の鳴き声、パドルから落ちる水音しか聞こえない世界だった。加藤君のレクチャーによると、すべてが氷河期の終焉から殆ど変化の無い自然環境なのだそうだ。ラッキーな事に、トビの幼鳥、バンビ3匹、青サギを見る事が出来た。水面と同じ目線から見る事の出来るカヌーの川下りは、自然にも優しく、これから益々増える事だろうし、是非トライして頂きたいカルチャースポーツだ。 

    
 エゾスカシユリ         バンビ         トビ幼鳥         水辺 

 午後5時、塘路ネイチャーセンターがら釧路市に向かった。市役所近くにある フィッシャーマンズワーフMOOを見たかったのだ。その、目にした建物は巨大で角ばっており機動戦士ガXXムのモビルスーツを思い出させてくれ、首を傾げム~ン!と唸ってしまった。買い物を済ませ、地図とカーナビを相手に泊まる場所を探し、根室まで行く事にした。およそ120キロ、2時間の行程だ。 今回の旅行は宿泊場所を予約せずに出掛けて来た。北海道は広いので、宿を気にしない自由な旅行をしたかったからだ。そんな事が出来るのもネットのお陰、各ホテルの空室状況を検索して2、3日の状況を調べると、繁忙期の前で大体のホテルが空いていたから出来た技である。本で調べた根室のビジネスホテルに車中電話を入れると一発でOK!予約が取れた。小雨が降出し、本来であれば暗くなるはずの夕方ではあるが、中々暗くならず日本列島最東端近くにいる事を感じさせてくれた。
 午後8時、「ホテルニュー根室」遅いチェックインであった。

 タクシーを呼んでもらい、運ちゃんの薦める「小はま鮨」に入店した。個室に案内されたが、地元の人と話がしたいので断りカウンターに席を作ってもらい、地酒と適当にお奨めの肴を頼んだ。早速、隣に座る多少酔っ払った兄さんが声を掛けてくる「お連れさんは恋人?奥さん?なして何も無い根室に来たんだイ?」 「根室なんて何もないべ・・・?」「なしてサ~~!」「わかんね~な~~!」適当に話してるうちにお仲間と2次会に消えて行った。「悪かったね、お客さん!」マスターが言った。「イイエ!大丈夫ですよ!」さすがに地物の魚は旨かった、中でも特筆すべきはホヤのサシミだ、歯応えほろ苦い味がたまらなく旨い。次にお奨めのキンキの唐揚げを頂いた、煮付けは食べた事はあるが、唐揚げは無かった。沢山獲れる地魚だから出来る調理方法で、山梨では勿体無くて、まず、しないだろう。 でも、美味しかった。

 ー3日ー
      
鶴見橋のオブジェ  納沙布岬に掛かる虹        丹頂鶴       羅臼岳

 午前4時30分起床、眠れないので納沙布岬まで出掛けた。帰り道の湿地帯でタンチョウ親子3羽を
発見、慌てたが撮影出来た「早起きは三文の得!」だ。11時、羅臼からウトロへ向かう途中の知床峠から
羅臼岳を撮った、残雪の白が、木々の緑が鮮やかだ、目を移すと雲の向こうに北方領土の国後島が見えた。
 いつの日か日本に帰って来るのだろうか?

   
知床峠から見た国後島   羅臼岳   ウトロ漁協婦人部食堂ニ色丼  オシンコシンの滝   

 ネットで見ていたウトロ港の ゴジラ岩観光 を尋ねた。こちらは大型船ではないので小回りが効き、岸壁に近づける、3時間コースがあると云う事からチョイスしたが霧で船が出ない事になり、2時半の便まで待てないので結局キャンセルした。ウトロ漁協婦人部食堂を案内してくれ、こちらの二色丼を食べたが旨かった。キャンセルの対応も良く、好感が持てた。ウトロを後に網走へ向かう途中で立ち寄ったオシンコシンの滝は想像以上に大きく、水量も多く意外だった。前を走る車が異常な動きをしたので、何事かと注意すると、痩せたキタキツネが道路を横断していた。 北海道は自然が一杯だ~!

   
 痩せたキタキツネ       広大な畑       小清水原生花園       涛沸湖

   
   オフォーツク流氷館 

   
              行刑資料館                    五翼放射状舎房

  見るのはいいが、入っちゃいけねえ!
      網 走 監 獄

 あまりこの様な施設は好きでは無いのだが(誰でも当然だと思うが)家内の好奇心に負け、入館した。北海道厳寒の地、悪行を重ねた罪人の終着駅ではあるが、休泊所の劣悪な環境の中での使役は、人の尊厳を踏みにじる蛮行で、今の世の中ではまず無いだろう。しかしながらTVで見る、かの近くの国ではまだまだ同様の事が刑務所内で行われている様だ。 刑務所の前に睡蓮が咲いた川がゆったり流れ、その川に「鏡橋」と呼ばれる橋が架かっている。この橋を渡らなければ刑務所に行く事は出来ない。その橋の由来は「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟を正し目的の岸に渡るべし」とあり、印象に残った。 

   

 小清水原生花園から宿を予約した、網走湖畔にあるホテル網走湖荘だ。部屋の広さ◎、食事◎サービス△、料金は1名10000円でお安く、お奨めのホテルだ。
 

 ー4日ー
   
   網走湖        アオサギ        女満別空港      

 午前10時30分のフライトであったが45分程遅れて、11時15分に女満別を後にしたが到着便が15分遅れ、さて出発と思った時、地上の車の側で手を振り敬礼する整備員が慌てて脚立を取り、旅客機に走り寄るのがA17番席から見えた。機内アナウンスでANA機が離陸したので時間を置いている旨の不自然な放送が流れた。整備員の慌て方を見ていたので気が気ではなかった。やがて点検整備と云う事でターミナルの側に戻された。初めての経験だったのでチョットびびってしまった。 大丈夫かな?途中でエンジン停止?やだな!機長の遅れたお詫びとフライトスケジュールの説明をして飛立ったが、途中のエンジン音の変化にもドキドキしてしまう、疲れたフライトであった。 普通が良いよね!普通が・・・。 無事に帰還する事が出来、我が松尾神社様に感謝した。羽田で交通停滞ボードを見ると、首都高が真っ赤だったので横浜回りに決め、中華街に立ち寄り遅い昼食を取り、午後5時、家に帰った。

 船で知床岬まで行く事が出来ず悔いを残したが、無事帰って来れたので楽しい旅行であった。 それにしても、自由旅行は高い!だが、自由を謳歌する為には高い代償を支払わなくてはいけないのだ!
  サー! 夏だ忙しくなるぞ~! 頑張ろう~~~!